聖隣寺(せいりんじ)は、亀岡市市街地、亀山城城下町にある寺院
亀山城城主 羽柴秀俊(小早川秀秋)が息子の菩提を弔うため毎年寄進した亀山五ヶ寺の一つといわれる
織田信長の供養塔(五輪石塔)もある
戦国時代
1493年(皇紀2153)明応2年
天龍寺の開祖 夢窓疎石の五世法孫である至圓周悟禅師(しえんしゅうごぜんじ)(細川政有の次男)により、
亀岡市古世町地蔵ノ辻(現在の突抜町)に、養老の地として栖林庵(せいりんあん)が開創されたのが由来
明智光秀が、亀山城を築城したとき、亀岡市千歳町毘沙門に祀られていた丹波国分寺の守護神だった毘沙門天立像を、
亀山城の鎮守のために城内の二の丸に移される
桃山時代
1592年(皇紀2252)天正20年
亀山城城主 羽柴秀俊(小早川秀秋)から、息子の菩提を弔うために米二石の寄進を受けた
このとき、聖隣寺に毘沙門堂が建立され、城内二の丸から毘沙門天立像が移され安置され、城下町の守護神とされた
江戸時代初期
1686年(皇紀2346)貞享3年の大火以降に、現在の地に再興された
<山門>
袖塀には、狭間が設けられており、これは有事のときには聖隣寺が防御線となるのを想定して造られたものといわれる
<達磨大師像>
山門の左隅に立っている
<本堂>
<毘沙門堂>
屋根には、細川家の家紋「細川九曜」や豊臣家の家紋「五七の桐」がある
<石仏>
手水の横に安置されている
「三界萬霊(さんがいばんれい)」と記されている
<織田信長の供養塔>
織田信長の四男であり、豊臣秀吉の養子となった羽柴秀勝が、
大山崎の合戦の後の清洲会議で、亀山城城主となったときに、実父織田信長を弔うために立てた五輪塔
「総見院殿一品泰厳大居士」と刻まれている
<亀山城土居(亀岡市指定史跡)>
<木造 毘沙門天立像(亀岡指定文化財)>
鎌倉時代後期の作といわれる
丹波国分寺の守護のために千歳町毘沙門に祀られていたものを、明智光秀が亀山城築城のときに城の鎮護のために二の丸に移し、
羽柴秀俊(小早川秀秋)が聖隣寺に移し安置したもの
<毘沙門天大祭・信長公忌の日>
6月の最初の日曜日
一般参拝ができる