真珠庵(しんじゅあん)は、紫野にある大本山大徳寺の西部にある塔頭
一休宗純ゆかりの寺院
<方丈(重要文化財)>
本堂
1636年(皇紀2296)寛永13年
京の豪商 後藤益勝(ごとうますかつ)の寄進により創建される
一休和尚坐像や、曽我蛇足(そがだそく)、長谷川等伯の障壁画がある
<書院「通僊院(つうせんいん)」(重要文化財)>
1638年(皇紀2298)寛永15年
正親町天皇の女御の化粧殿を移築したもの
庭には、茶室 庭玉軒が建つ
<茶室 庭玉軒(ていぎょくけん)>
通僊院に付属する草庵風の茶室
茶道 宗和流の祖 金森宗和(かなもりそうわ)の設計
金森宗和の菩提所であった大徳寺塔頭 金龍院の茶室だったもの
金龍院は、現存しない
二畳台目、中柱付き、台目切り、下座床
「内坪(うちつぼ)」と称される建物内の露地を持つ
前庭は、茶室への露地を兼ねる江戸時代初期の作
二畳台目の茶室は、引き違い障子で内坪と仕切られ、変化ある空間を演出されている
<庫裏(重要文化財)>
庭園は全て、国の史跡、国の名勝
<方丈東庭>
枯山水庭園
真珠庵で最も古いといわれる室町時代の作
侘び茶の祖 村田珠光(むらたじゅこう)の作といわれる
方丈の東側の細い敷地内に、7・5・3と合計15個の石が配されており、「七五三の庭」と称される
<通僊院庭園>
通僊院から庭玉軒へ至る露地
数個の石と灯籠が配されている
<方丈南庭>
<庭玉軒前庭>
<観阿弥のお墓>
<世阿弥の供養塔>
<村田珠光の墓>
<大燈国師墨蹟(国宝)>
巻頭の標題に「看読真詮榜(かんとくしんせんぼう)」とあり、「看経榜(かんきんぼう)」と称される
豪放で端正な書風で、大燈国師 宗峰妙超の墨蹟中の代表作といわれる
<木造一休和尚坐像(重要文化財)>
方丈に安置されている
<紙本墨画 達磨像(重要文化財)>
画僧 墨溪(ぼっけい)の筆
上部には、「禅の修業に励んだ達磨も、花が咲く故郷のインドの春を思ったのだろうか」という一休宗純の画賛が添えられている
墨溪は、一休宗純の弟子で、周文(しゅうぶん)に水墨画を習ったといわれる
<紙本着色 百鬼夜行図(重要文化財)>
夜の道を、さまざまな妖怪変化が練り歩く「百鬼夜行」の説話を描いた絵巻
百鬼夜行図としては、現存する最古のもの
<紙本墨画 真山水図8面(重要文化財)>
方丈西の間の襖絵
室町時代の曽我蛇足の作
<紙本墨画 花鳥図16面(重要文化財)>
方丈室中の襖絵
室町時代の曽我蛇足の作
<紙本墨画 草山水図5面(重要文化財)>
方丈書院の間の襖絵
室町時代の曽我蛇足の作
<紙本墨画 商山四皓図(しょうざんしこうず)8面(重要文化財)>
方丈東の間の襖絵
長谷川等伯の筆といわれる
<紙本墨画 蜆子猪頭図(けんすちょとうず)4面(重要文化財)>
方丈衣鉢の間の襖絵
長谷川等伯の筆といわれる
<紙本著色 苦行釈迦像(重要文化財)>
蛇足の筆といわれる
<一休宗純墨蹟6点(重要文化財)>
遺偈(ゆいげ)
1481年(皇紀2141)文明13年
88歳の生涯を閉じた一休宗純が死に臨んで書した遺偈
「この世に私の禅を理解する者などありはしない。虚堂和尚がやって来ても半銭の価値もない」という旨の句から始まる
一行書
「諸悪莫作(しょあくまくさ)」「衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)」の2幅
七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)の初めの2句を書いたもの
「悪いことはするな、よいことをせよ」という趣旨
徹翁示栄衒徒法語
題徹翁示栄衒徒法語偈
示会下徒之法語
遺誡