新徳寺(しんとくじ)は、壬生寺の東向かいにある寺院
幕末維新には上洛した浪士組の清河八郎が、隊士を集めて尊王攘夷の演説を行ったところ
<本堂>
<「第二番 屋根葺地蔵尊 万年寺」の石標>
<准胝観音菩薩>
本尊
<紙本著色 星光寺縁起絵巻 2巻(重要文化財)>
星光寺の草創記、本尊 地蔵菩薩の霊験譚がまとめられている
平資親の邸内、牧谿様の竹林図、猿猴図の襖、寝所なども描かれている
室町時代の土佐光信の筆といわれるが、現在は、土佐光信制作直後の模本とみられている
東京国立博物館所蔵
<屋根葺地蔵(やねふきじぞう)>
江戸時代の作といわれる地蔵菩薩
木造、像高約34cm、右手に錫杖、左手に宝珠、左足を下げた半跏趺坐像
客仏で、かつては、星光寺(せいこうじ)の本尊で、室町時代の洛陽六地蔵めぐりの一つとされており、石造だったといわれる
「星光寺縁起絵巻」2巻によると
鎌倉時代、建長年間(1249年〜1256年)、六角櫛箪笥町(くしげちょう)に貧しい筆売りの老女が地蔵尊を信仰していた
ある時、大風で家が倒壊してしまい、地蔵菩薩のご加護がなかったと恨んだ
翌日、老女が家を留守にしている間に、若い数人の法師が訪れ、家を修復し、屋根を葺き替えて帰って行った
その夜、老女の夢枕に地蔵菩薩が現れ、これからもさらに信心するように諭して消えて行った
以後、老女は地蔵菩薩を篤く信じ、臨終のときには、地蔵菩薩が来迎し極楽往生したといわれる
以後、帰依する者も多く「屋根葺地蔵」と称されるようになったという