即宗院(そくしゅういん)は、東福寺方丈の東側にある塔頭の一つ
鎌倉時代初期に九条兼実の山荘「月輪殿」だった跡地で、庭園は京都市指定名勝となっている
即宗院裏の採薪亭跡(さいしんていあと)は、清水寺の僧 月照と西郷隆盛とが、
大老 井伊直弼を倒すために密議を行ったところで、西郷隆盛が滞在し幕末維新の舞台となった
<山門>
1613年(皇紀2273)慶長18年の建立
左右に、石造りの仁王像が立っている
<即宗院庭園(京都市名勝)>
この地は、関白 藤原忠通(ふじはらただみち)(近衛家)が御所の東御堂として建立し、三男の藤原兼実(九条家の祖)が継ぐ
1196年(皇紀1856)建久7年
山と樹林に囲まれた閑静な地にあり、藤原兼実が、山荘を営み「月輪殿」と称した
法然上人が来訪されたときに描かれた絵巻には、優美な寝殿造りの邸宅と池が描かれている
1799年(皇紀2459)寛政11年発行
「都林泉名勝図会」にも名園として紹介されている
1972年(皇紀2632)昭和47年以降
順次整備がすすめられ、月輪殿の滝跡の石組みの残存や池などが当時を偲ばせる
池は「心」の字体が表現されている
<採薪亭(さいしんてい)の跡>
即宗院の裏にある
清水寺の僧月照と西郷隆盛とが、大老 井伊直弼打倒のために密議を行ったところ
西郷隆盛と月照は、和歌のつながりで近衛家に出入りし、尊王攘夷に対し激しい弾圧を行う大老 井伊直弼を打ち倒すための
密議を採薪亭で行い、西郷隆盛は、採薪亭に隠れ住み、ここからさまざまな令を発して維新の大業をやり遂げたという
薩摩藩藩士の有村次左衛門と水戸藩諸士17名が、江戸城外の桜田門外で井伊直弼の倒すことになる
月照は、薩摩に渡った後で、鹿児島の錦江湾に身を投じた
<薩摩藩士東征戦亡の碑>
即宗院の裏山にある
鳥羽・伏見の戦いや戊辰戦争で戦死した薩摩藩藩士524名の氏名が刻まれている
西郷隆盛が、半年滞在して斎戒沐浴(身を清めて)し、自ら工事を監督し、筆をとって銘文をつくり建立した
<偃月橋(えんげつきょう)(重要文化財)>
即宗院や龍吟庵に入る手前の橋
京都の紅葉