宗福寺(そうふくじ)は、亀岡市市街地南部の矢田町にある寺院
浄土宗総本山知恩院の直轄寺で「洗心山甘露院宗福寺」と称される
戦国時代の亀山城の末櫓として望楼を兼ねて、亀山城城下町の大手門から南へ2町のところ御土居の内側に移転される
室町時代
応永年間(1394年〜1428年)
宮中で奉仕していた殿上人であった春公磨(しゅんこうまろ)が、世の無常を感じて仏教に発心し、
世俗の世を捨てて一行三昧の修行に入る
1433年(皇紀2093)永享5年
春公磨が、二尊院で法然上人の専修念仏の法に帰依し、布教の拠点として、現在の旅籠町の地に草庵を結び、
一向専修念仏を唱え、布教の拠点とされる
1450年(皇紀2110)宝徳2年11月5日
春公大和尚が80歳で亡くなる
安土桃山時代
亀山城城下の整備にあたり、亀山城の末櫓(すえやぐら)として望楼を兼ねて、
有事のときに陣が張れるよう現在の地に移転した
江戸時代初期
1622年(皇紀2282)元和8年
知恩院から、然誉存廓上人(ねんよそんかくしょうにん)を招き、中興開山される
1623年(皇紀2283)元和9年
亀山藩藩主 大給松平将監成重の帰依を受けて、四間四方の堂宇を六間半四面に改築するなど伽藍が整備される
<山門>
<本堂>
山門から参道の正面にある
<地蔵堂>
<墓地>
山門右側奧にある
入口に、地蔵菩薩坐像と六地蔵菩薩の石像が祀られている
<十三重塔>
基壇の上の軸部には四方仏が彫刻されている
<阿弥陀如来坐像>
本堂の本尊
定朝様、降魔坐で貴重なもの
<地蔵菩薩立像>
地蔵堂に祀られている
宗福寺5世 江亀和尚(こうきおしょう)の夢告により、二尊院から移されたもの
ヒノキの一材から掘り出され、内刳もない
平安時代中期の一木彫刻の特色をもつ貴重なもの