正法寺(しょうぼうじ)は、大原野の小塩山麓、大原野神社の向いにある寺院
鑑真の高弟だった智威大徳の修行の地だったところで、最澄が智威大徳のために寺院を創建したといわれる
桜、紅枝垂桜、躑躅(ツツジ)、皐月(さつき)、楓などの名所
<本堂>
<宝生殿>
走り大黒天が安置されている
京都六大黒天霊場第3番
<宝生苑>
宝生殿の前庭
千原池があり、南の観音滝からの流れ込んでいる
水琴窟もある
<巨石の庭園>
東山連峰を望む借景庭園、枯山水庭園
白砂に、15種類ほどの動物の形をした石が約200トンを集められている
ふく蛙や、亀、兎、象、羊、ペンギン、栗鼠、蛇、梟、浜千鳥、子獅子、獅子、犬、鸚鵡、土竜
「石の寺」とも称される
<不動堂>
春日不動明王が祀られている
室町時代の愛染明王も安置されており、夫婦和合、縁結びなどのご利益がある
<遍照堂>
明治時代の建物
高台寺より移築された
<春日稲荷社>
春日稲荷明神が祀られている
名前は、智威大徳の春日禅坊に由来しており、最古の稲荷神といわれる
智威大徳は、晩年、文殊菩薩のそばで修行に入り、春日禅坊から出ることがなく、一人の老翁と白狐が仕えた
智威大徳は死を悟ると、禅坊の奥の石窟で坐禅に入り、白狐が石窟の前に控えたといわれる
人々が参拝に来ると良香が漂ったことから、小祠を建て「狐王社」として祀られた
江戸時代
慧雲蓼海が、智威大徳をを追慕すると、老翁が現れ稲荷明神と名乗り、ここはかつて智威大徳と契りを交わした本拠地であると言う
慧雲蓼海は、真言密教、天台兼学の道場を開いたといわれる
1984年(皇紀2644)昭和59年、社が再建される
商売繁盛、福徳授与などのご利益がある
<社家川>
参道には、極楽橋がかかっている
<木造 三面千手観世音菩薩立像(重要文化財)>
本堂内陣の正面に安置されている
鎌倉時代初期の作
像高181cm、漆箔、玉眼
正面の顔以外に両耳の後に脇面があり、頭上に23面の化仏(けぶつ)が付いている
人々の救済のために、あらゆる面に目を配り、過去と未来にも配慮し手を差しのべるといわれる
京都洛西観音霊場番外札所とされている
九品寺(南丹市園部町)から遷されたもの
<聖観音菩薩像>
本堂の本尊
「貞和二年」(1346年(皇紀2006)正平元年/貞和2年)の銘がある
弘仁年間(810年〜824年)、空海がこの地を訪れ、42歳の厄除けに自ら刻んだものともいわれる
厄難消除の信仰がある
<薬師如来像>
本堂の左に安置されている
開山 智威大徳により安置されたといわれる
西国薬師四十九霊場第41番札所とされている
<延命地蔵菩薩>
本堂に安置されている
貞和年間(1345年〜1350年)の作
<大黒天像>
宝生殿に安置されている
江戸時代の作
像高95cm、木造、彩色
一刻も早く福を授けようと、足が動いているように見えることから「走り大黒」と称される
京都六大黒天霊場第3番とされている
<両界曼荼羅>
鎌倉時代初期のもの
<徳川氏関係文書>
桂昌院の帰依を受け、徳川家の祈願所となったことから関係文書が残る
<襖絵「西山賛歌」41面>
書院大広間の襖絵
小塩山、ポンポン山など西山の四季の風景と草花が描かれている
現代日本画家 西井佐和子の作
この作品を描き終えた3日後に亡くなった遺作
<初護摩祈願・初詣>
1月元日
甘酒の接待がされる
<節分厄除開運祈願祭>
2月節分
小豆がゆ、笹酒の接待がされる
<春季彼岸法要>
3月彼岸中日
<花まつり>
4月上旬
琴の演奏などが行われる
<四国八十八ヵ所霊場巡拝>
5月下旬
<盆施餓鬼・千燈供養法要>
8月盆過ぎ土曜日
<精霊流し>
8月最終土曜日
<秋季彼岸法要>
9月彼岸中日
<紅葉まつり>
11月中旬
琴の演奏や、寺宝の公開が行われる