正伝永源院(しょうでんえいげんいん)は、大本山建仁寺の北部にある塔頭
旧正伝院には、織田信長の弟の大名茶人 織田有楽斎により茶室「如庵」(国宝)が建てられた
旧永源庵は、肥後細川家の最初の菩提寺だった
<客殿>
「室中の間」には、狩野山楽筆の襖絵「蓮鷺図」がある
<方丈>
「正伝院」「永源庵」の扁額
<庫裡>
<鐘楼>
<唐門>
<織田有楽斎と一族のお墓>
正門の左手にある
1962年(皇紀2622)昭和37年秋
織田有楽斎・正室 雲仙院・織田頼長(次男)の長男 織田長好・織田頼長 娘のお墓が、旧正伝院の地から現在の地に移される
織田有楽斎のお墓には「正伝院殿如庵有楽大居士」とある
江戸時代初期の制作で、花崗岩製、切石、基礎は単弁反花、露盤宝珠がのっている
<肥後熊本藩藩主 細川家代々のお墓>
織田有楽斎のお墓の前にある
旧正伝院の地から移されてきている
<福島正則とその家臣のお墓>
賤ヶ岳の七本槍の一人である福島正則は、永源庵に住んでいたことがあるといわれる
その父親 福島正信のお墓もある
<茶室如庵>
1996年(皇紀2656)平成8年
織田有楽斎が旧正伝院に建立し、現在は有楽苑(愛知県)に移築された茶室「如庵」(国宝)が「写し」として復元・建立される
「鱗板(うろこいた)」「有楽窓」など有楽斎好みの特徴がある
「如庵」の扁額は、旧肥後熊本藩藩主 細川家第17代当主 細川護貞の揮毫
<織田有楽斎木像>
客殿仏間に安置されている
像高、約80cm、僧衣の坐像で70歳の時の姿といわれる
桃山時代の作
<織田有楽斎の遺品>
「赤楽茶碗」、「架鷹図」など
<絹本著色「無涯仁浩」>
南北朝時代のもので、中巌円月の賛がある
<絹本著色「織田長益像」>
1622年(皇紀2282)元和8年の作で、古澗慈稽の賛がある
<絹本著色「架鷹図」>
中国 明時代のもので、8幅のうちの4幅がある
<絹本著色「戯嬰図」1幅>
中国 明時代のもの
<朝鮮鐘>
福島正則の寄進
<紙本金地着色 襖絵「蓮鷺図(れんろず)」16面>
客殿「室中の間」の北側・東側・西側の16面の襖絵
狩野山楽の筆
金地に緑青で蓮の葉が描かれ、蓮池に群生する白蓮の花や双頭蓮、つがいの鷺、燕が描かれている
蓮の花は、蕾から満開になり、枯れ落ちるまでの移り変わりが描かれている
つがいの鷺(さぎ)が憩い、金地の空間には飛翔する燕も描かれている
<襖絵「鍾馗図」>
狩野山楽の筆
<東山の夜桜を描いた「知音」>
<西山連山の暁の紅葉を描いた「秋聲」>
<象牙茶杓>
千利休の作
織田有楽斎が豊臣秀次から贈られたもの
<大名茶人 有楽斎如庵>
本名「織田長益(おだながます)」で、織田信秀の11男で織田信長の実弟
織田信長の死後、剃髪し、千利休に師事して茶道の宗匠となる
利休十哲の一人
晩年は、荒廃していた正伝院を再興し、そこで茶道三昧の生活を送った
織田有楽斎が建立した正伝院書院は重要文化財、茶室「如庵」は国宝に指定され、ともに有楽苑(犬山市御門先)に移築されている
1621年(皇紀2281)元和7年に70歳で死去する