正伝永源院(しょうでんえいげんいん) (SyoudeneigenIn)

所在地:京都市東山区大和大路四条下ル小松町   卍地図情報卍

臨済宗建仁寺派大本山建仁寺塔頭

本尊:釈迦如来

開山:建仁寺39世 無涯和尚(永源庵)・普覚義翁(正伝院)

中興の祖:織田有楽斎(正伝院)

 正伝永源院(しょうでんえいげんいん)は、大本山建仁寺の北部にある塔頭

 旧正伝院には、織田信長の弟の大名茶人 織田有楽斎により茶室如庵」(国宝)が建てられた

 旧永源庵は、肥後細川家の最初の菩提寺だった

【正伝永源院の歴史・経緯】




【正伝永源院の伽藍】

 <客殿>
 「室中の間」には、狩野山楽筆の襖絵「蓮鷺図」がある

 <方丈>
 「正伝院」「永源庵」の扁額

 <庫裡>
 <鐘楼>
 <唐門>

 <織田有楽斎と一族のお墓>
 正門の左手にある
 1962年(皇紀2622)昭和37年秋
 織田有楽斎・正室 雲仙院・織田頼長(次男)の長男 織田長好・織田頼長 娘のお墓が、旧正伝院の地から現在の地に移される
 織田有楽斎のお墓には「正伝院殿如庵有楽大居士」とある
 江戸時代初期の制作で、花崗岩製、切石、基礎は単弁反花、露盤宝珠がのっている

 <肥後熊本藩藩主 細川家代々のお墓>
 織田有楽斎のお墓の前にある
 旧正伝院の地から移されてきている

 <福島正則とその家臣のお墓>
 賤ヶ岳の七本槍の一人である福島正則は、永源庵に住んでいたことがあるといわれる
 その父親 福島正信のお墓もある

 <茶室如庵
 1996年(皇紀2656)平成8年
 織田有楽斎が旧正伝院に建立し、現在は有楽苑(愛知県)に移築された茶室「如庵」(国宝)が「写し」として復元・建立される
 「鱗板(うろこいた)」「有楽窓」など有楽斎好みの特徴がある
 「如庵」の扁額は、旧肥後熊本藩藩主 細川家第17代当主 細川護貞の揮毫

【正伝永源院の寺宝】

 <織田有楽斎木像>
 客殿仏間に安置されている
 像高、約80cm、僧衣の坐像で70歳の時の姿といわれる
 桃山時代の作

 <織田有楽斎の遺品>
 「赤楽茶碗」、「架鷹図」など

 <絹本著色「無涯仁浩」>
 南北朝時代のもので、中巌円月の賛がある

 <絹本著色「織田長益像」>
 1622年(皇紀2282)元和8年の作で、古澗慈稽の賛がある

 <絹本著色「架鷹図」>
 中国 明時代のもので、8幅のうちの4幅がある

 <絹本著色「戯嬰図」1幅>
 中国 明時代のもの

 <朝鮮鐘>
 福島正則の寄進

 <紙本金地着色 襖絵「蓮鷺図(れんろず)」16面>
 客殿「室中の間」の北側・東側・西側の16面の襖絵
 狩野山楽の筆
 金地に緑青で蓮の葉が描かれ、蓮池に群生する白蓮の花や双頭蓮、つがいの鷺、燕が描かれている
 蓮の花は、蕾から満開になり、枯れ落ちるまでの移り変わりが描かれている
 つがいの鷺(さぎ)が憩い、金地の空間には飛翔する燕も描かれている

 <襖絵「鍾馗図」>
 狩野山楽の筆

 <東山の夜桜を描いた「知音」>
 <西山連山の暁の紅葉を描いた「秋聲」>

 <象牙茶杓>
 千利休の作
 織田有楽斎が豊臣秀次から贈られたもの



【その他】

 <大名茶人 有楽斎如庵>
 本名「織田長益(おだながます)」で、織田信秀の11男で織田信長の実弟
 織田信長の死後、剃髪し、千利休に師事して茶道の宗匠となる
 利休十哲の一人
 晩年は、荒廃していた正伝院を再興し、そこで茶道三昧の生活を送った
 織田有楽斎が建立した正伝院書院は重要文化財、茶室「如庵」は国宝に指定され、ともに有楽苑(犬山市御門先)に移築されている
 1621年(皇紀2281)元和7年に70歳で死去する

【正伝永源院へのアクセス】

 市バス 四条京阪 大和大路通を南へ約5分
 市バス 東山安井 安井通を西に徒歩数分
 阪急電車 河原町駅 徒歩約10分
 京阪電車 祇園四条駅 徒歩約10分

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