聖護院門跡(しょうごいんもんぜき)(SyougoIn)
所在地:
京都市左京区聖護院中町
地図情報
本山修験宗(ほんざんしゅうげんしゅう)総本山の寺院
以前は、
天台宗寺門派
寺格:
門跡寺院
山号:なし
本尊:
不動明王
開基:増誉大僧正(園城寺)
別称:森御殿(もりごてん)
近畿三十六不動尊第18番霊場
国の史跡(聖護院旧仮皇居)
京都を彩る建物や庭園認定
聖護院門跡(しょうごいんもんぜき)は、門跡寺院として高い格式を誇る
江戸時代後期には光格天皇と孝明天皇の仮皇居にもなり、「聖護院旧仮皇居」として国の史跡に指定されている
江戸時代より、
修験道は、江戸幕府の政策により、「本山派」「当山派」の2つに分かれ、
聖護院は、本山派の中心寺院とし全国に2万余の末寺をかかえる一大修験集団となる
現在は、本山修験宗の総本山の寺院
明治時代まで、西側に聖護院村があり、鴨川にかけて「聖護院の森」が広がり、
その森の中にある御殿であることから「森御殿」とも称される
【聖護院門跡の歴史・経緯】
【聖護院門跡の伽藍】
<書院(重要文化財)>
江戸時代初期
御所の女院の御殿を賜って移築したもの
一夜にして建てられたといわれ「一夜造りの御学問所」と称される
<本堂>
江戸時代中期の創建
<宸殿>
江戸時代中期の創建
<宸殿庭園>
宸殿の前の、市松模様が描かれた白砂の庭
【聖護院門跡の塔頭】
<
積善院>
境内の東隣にある
【聖護院門跡の寺宝】
<木造智証大師(円珍)坐像(重要文化財)>
開基 増誉大僧正の出身である園城寺の開基 円珍智證大師が祀られている
1143年(皇紀1803)康治2年
円城寺の覚忠が、
仏師 良成に命じて作らせたもの
像内に、造像願文 円珍入唐求法目録等が納められている
<
木造不動明王立像(重要文化財)>
本尊
平安時代の創建当時のもの
<光格天皇宸翰 神変大菩薩号勅書(重要文化財)>
1799年(皇紀2459)寛政11年1月25日
光格天皇が、役行者の滅後1100年の後遠忌に際して、
烏丸大納言を勅旨として聖護院に派遣され「神変大菩薩」の名を追賜されたときの勅書
全文が
光格天皇の真筆
<
絹本著色 熊野曼荼羅図(重要文化財)>
<円珍入唐求法(にっとうぐほう)目録1巻、如意輪心中心真言観1通、智証大師像造立願文(ぞうりゅうがんもん)1通(重要文化財)>
智証大師像の像内の納入品
<山城国富家殿(ふけどの)山絵図(重要文化財)>
<後陽成院宸翰消息(重要文化財)>
<役行者神変大菩薩>
高祖殿に祀られている
1695年(皇紀2355)元禄8年の作
銅造役行者の代表的な作り
【聖護院門跡の祭事】
<山伏追難式・鬼おどり>
2月節分
節分会において、年男福女の除災招福の追難式、採燈大護摩、
山伏追難式、鬼おどり大護摩供養、福豆まき、古札焼きが行われる
【その他】
京菓子の
聖護院八ツ橋
京の伝統野菜の
聖護院だいこん、
聖護院かぶ、聖護院きゅうりの発祥の地
<聖護院の森>
明治時代まで、西側に聖護院村があり、
鴨川にかけてうっそうとした森が広がっていた
紅葉が、錦の織物のように美しいため「錦林」とも称される
<
熊野神社>
修験道の開祖 役小角の十代 山伏日円が、国家護持のため勧請したもの
聖護院の森の鎮守として祀られている
毎年4月29日の祭事には、子供の山国白狐隊による奏上が聖護院宸殿前で行なわれる
<聖護院旧仮皇居>
1788年(皇紀2448)天明8年正月・1854年(皇紀2514)安政元年4月
御所が炎上し、
光格天皇や
孝明天皇、皇子 祐宮(明治天皇)が、一時期、仮御所として使用される
仮皇居聖護院を示す石標が立つ
<浄瑠璃「お俊・伝兵衛」>
1734年(皇紀2394)享保19年11月16日
聖護院の森で、呉服商の井筒屋伝兵衛23歳と、
先斗町近江屋の遊女 お俊20才が心中する
この事件を、浄瑠璃作家 近松半二が、「近頃河原達引(お俊・伝兵衛)」という作品にまとめる
<本山修験宗のお経>
「宇宙一切の事象や音声は皆法身の顕れである」と考え、ありとあらゆる全てお経とされる
主に、法華経(妙法蓮華教)・不動経(稽首聖無動大威怒王秘密陀羅尼経)・般若経・錫杖経(得道梯橙錫杖経)が読まれ、
天台宗の影響で、法華懺法・例時作法(阿弥陀経)も日課とされる
【聖護院門跡へのアクセス】
市バス 熊野神社前 徒歩約3分
京阪電車 丸太町駅 徒歩約10分
【京都検定 第2回3級】
【京都検定 第2回2級】
【京都検定 第8回2級】
【京都検定 第16回2級】
【京都検定 第8回1級】
【京都検定 第12回1級】