勝念寺(しょうねんじ)(SyounenJi) 京都通メンバ
所在地:京都市伏見区石屋町   卍地図情報卍

浄土宗知恩院の末寺

山号:安養山(あんようざん)
院号:往生院

本尊:阿弥陀如来

開山:聖誉貞安上人

京都の通称寺:かましきさん

通称:かましきさん、かえる寺、萩の寺、えんまさんの寺

 勝念寺(しょうねんじ)は、伏見 丹波橋駅の西、丹波橋通(京街道)に面してある寺院
 本成寺の真向かいにある

 正親町天皇の勅命により、織田信長織田信忠父子の菩提を弔うために、織田信長が深く帰依していた聖誉貞安上人が創建する

 織田信長から授与されたとされる身代釜敷地蔵尊・閻魔法王自作霊像がある

 身代釜敷地蔵尊は、地獄を歩いて釜茹の責めに苦む人々の身代わりになって救済をするといわれ「かましきさん」と信仰されている

 境内に十数種、100株ほどのが植えられており9月頃には境内が開放され「萩振舞い」と称される



【勝念寺の歴史・経緯】



【勝念寺の伽藍】

 <本堂 >
 1978年(皇紀2638)昭和53年
 檀信徒の寄付により現在の本堂が再建される

 <庫裏>

 <地蔵堂>
 土蔵造二階建
 1595年(皇紀2255)文禄4年
 現在の地蔵堂が建立される
 その後、宝物庫とされており、
 1779年(皇紀2439)安永8年の火災のときに、織田信長より授与された仏像などが保管されており焼失を避けられた

 <マニ車>
 地蔵堂の入口に置かれている
 マニとは、如意宝珠のこと
 筒の中には、地蔵菩薩本願経観音経 般若心境が入れられており、
 右手で、右から左に回すと、お経を称えるのと同じ功徳があるといわれる

 <聖観世音菩薩
 マニ車の横の小祠に安置されている

 <身代り釜>
 地蔵堂の前に置かれている
 身代釜敷地蔵尊(​かましきさん)が、地獄を歩いて、釜茹の責めに苦む人々の身代わりになって救済をするといわれる

 <身代り蛙>
 境内には多くのカエルの置物が置かれている
 「身代り」「代える」「蛙」と転訛したとされる

 <鎮守社 門出八幡宮>
 伽藍守護の鎮守社
 交通安全・家内安全・身体健康・出世開運のご利益があるとされる
 神像 門出八幡宮が祀られていたが、現在は、本堂に安置されている

 <七福神>  門出八幡宮の横に並べて安置されている

 <十一面千手千眼観世音菩薩
 境内入口付近の小祠に祀られている

 <子安延命地蔵菩薩>
 本堂の前の小祠に安置されている

 <萩(はぎ)>
 境内に十数種、100株ほどのが植えられている
 は初夏と秋に花が咲き、秋には2mを越えて境内がで埋まる
 9月頃には境内が開放され「萩振舞い」と称される

 <ロウバイ>
 冬になると、境内のあちこちで黄色い花を咲かせる

 <「天明義民 柴屋伊兵衛墓所」の石碑>
 門前に石碑が立っている
 天明年間(1781年~1789年)
 「天明伏見義民」「伏見義民一揆」とも称される
 伏見奉行 小堀政方の悪政、御用金で遊興していたことにより伏見の町が衰退するのを憂いて、
奉行所が伏見港で着船や船客から料金を取り上げたことで、
勝念寺の檀家である柴屋伊兵衛や町年寄たちが取りやめの沙汰を申し出る
 1785年(皇紀2445)天明5年7月
 町年寄の柴屋伊兵衛(薪炭商)、文殊九助(刃物鍛治)、丸屋九兵衛(農業)、麹屋伝兵衛(麺製造業)、伏見屋清左衛門(塩屋)、
板屋市右衛門(製材業)、焼塩屋権兵衛(器製造業)の7人が、死を覚悟して江戸幕府 松平伯耆守に直訴する
 願書は却下になり、7人は直訴の罪で投獄される
 1787年(皇紀2447)天明7年9月23日
 柴屋伊兵衛は、京都町奉行所東役所にて牢死する
 同年
 松平定信が老中になり、町人側の訴えがほぼ認められ、小堀正方は伏見奉行を罷免され、領地没収、お家断絶となる
 7人は、松平定信が赦免を申し渡したが、時遅く、みんな病死や牢獄死していた

 勝念寺に、柴屋伊兵衛のお墓はない

 大黒寺には「伏見義挙殉難士之墓地」の碑が立ち、天明義民7名のお墓がある


 <お墓>
 開山 聖誉貞安上人の供養塔の五輪塔が立つ
 天明義民 柴屋伊兵衛の両親と先祖のお墓がある(本人のお墓はない)



【勝念寺の寺宝】

 <焼失前の創建当初の本尊 阿弥陀如来坐像
 恵心僧都の作
 三尊となっており、観音菩薩勢至菩薩観音勢至の2菩薩は第五世 専誉了玄和尚の作
 1779年(皇紀2439)安永8年の火災で焼失する

 <現在の本尊 阿弥陀如来立像
 手足指縵網相を現し、衆生を救うのに指の間からこぼれないように指と指の間に水かきがある
 眼は玉眼となっている
 光背上方には化仏が3体おられ、腰の辺りに迦稜頻伽が2体 阿吽の形で彫られている
 蓮台は2つに割れ、衆生を救いに正に歩みだそうという姿を現している
 1780年(皇紀2440)安永9年の作
 第11世 念誉義春和尚の師僧 小松谷正林寺 義柳上人の念持仏とされる


 <元祖法然上人像>
 1826年(皇紀2486)文政9年
 勝念寺第14世 諦誉義禅上人の師僧 専念寺第17世 順阿隆円大和尚の弟子 専念寺第18世 法誉隆常上人
(諦誉義禅上人の兄弟子)より勝念寺に贈られたもの
 その以前は、大阪谷町 願生寺第8世 超誉益雄上人の念持仏だったもの
 像の裏に「為報恩奉修補」「元禄七年」(1694年(皇紀2354)元禄7年)と記されている
 師僧 師僧 順阿隆円上人により和歌が添えられている
 「吉水のかけをうつして末久に 不二さてはよむ人をしそ思ふ」前専念 順阿

 この法然上人の像は、百萬遍知恩寺の本尊の顔や、数珠を繰る手、衣の裾の形などよく似ており、
百萬遍知恩寺の本尊元祖大師像の写しといわれる


 <​身代釜敷地蔵尊(​かましきさん)>
 地獄を歩いて、釜茹の責めに苦む人々の身代わりになって救済をする地蔵菩薩といわれる
 恵心僧都の作といわれる
 織田信長から開山 聖誉貞安上人が授与されたものといわれる

 文政年間(1818年~1830年)
 勝念寺14世 諦誉上人の師僧 専念寺17世 常恭敬院殿順阿隆圓から、身代釜敷地蔵尊・閻魔法王自作霊像のお札の版木が贈られ、
 以来、2像のお札が多くの人々に配られ、身代釜敷地蔵尊の信仰が広まる
 特に、戦時中には、出征兵士の家族が弾を身代りに受けて下さると、身代釜敷地蔵尊のお札が、
 戦死しても、お国のために戦かったことを証明して下さると、閻魔法王のお札が求められた


 <閻魔法王自作霊像>
 慈悲相の閻魔法王の像、像高1寸8分(約5.5cm)
 1172年(皇紀1832)承安2年12月21日
 摂津国清澄寺の慈心房尊恵が、閻魔庁の法会に招かれたとき、閻魔法王が、
人々が「善因善果 悪因悪果 自因自果」の因果の道理を信じず、悪いことをして地獄へと落ちていくことを深く憂い、
世の中に示すために閻魔法王自らが松の木の枝に自刻したものといわれる
 尊恵は蘇生し、平清盛に閻魔法王の言葉を告げ、霊像を献上する
 霊像は、平家ゆかりの者により伝えられ、織田信長が、「平氏織田」を名乗り、平清盛の追善法要を行ったときに献上される
 織田信長は、平家の系譜である開山 聖誉貞安上人に授けたといわれる


 <多羅観音菩薩坐像>
 チベット仏教の緑多羅菩薩の金銅天竺仏坐像
 像高5寸(約15cm)、蓮座2寸(約6cm)
 中国の元時代から明代初期(1271年~1400年頃)の作といわれる
 女性の姿をしており、女性守護の仏とされ「多羅仏母」「救度仏母」とも称される
 観音菩薩が苦しむ衆生の多さに瞳より涙を流し、その涙により生まれたとされる
 「多羅」とは、梵語で瞳を意味する
 苦しむ衆生を救済するために右足を前に差し出している


 <毘沙門天立像
 像高3尺2寸(約121cm)
 通常の毘沙門天は甲冑を着て左手に宝塔、右手に宝棒・戟を持っているが、宝塔を持たず、腰に手をあて邪鬼を踏む珍しい像
 恵心僧都の作といわれる
 織田信長から開山 聖誉貞安上人が授与されたものといわれる


 <門出八幡宮立像>
 像高1尺2寸(約45.5cm)
 顔がやや右を向いていて、甲冑を着け、右手は刀印を結び、左手に弓を持つ
 背中と長靴にの模様がある
 薬師如来十二神将の一体ではないかといわれる
 最澄の作といわれる
 交通安全・家内安全・身体健康・出世開運のご利益があるとされる
 鎮守社 門出八幡宮に祀られていたが、現在は、本堂に安置されている


 <閻魔法王尊像縁起>
 全長505cm
 1823年(皇紀2483)文政6年
 勝念寺14世 一蓮社 諦誉上人 隆阿佛童義禅和尚が、勝念寺の由緒を調べ上げ、
織田信長より授与された閻魔法王自作霊像の縁起を記する



【勝念寺の祭事】

 釜敷地蔵尊供養会 4月8日
 花まつり・甘茶接待 4月8日
 盂蘭盆施餓鬼会 8月2日
 棚経 8月5日~15日
 精霊送り 8月16日
 萩振舞い・境内開放 9月中旬
 十日十夜法要・双盤打ち 10月
 百万遍大念仏数珠繰り 10月

【その他】

 <東海道五十七次(伏見宿)>
 勝念寺の門前の丹波橋通(京街道)は、東海道五十七次の街道筋にあたり、旅人が多く行き来して賑わったところだったといわれる

【勝念寺へのアクセス】

 京阪電車 京阪本線 丹波橋駅 徒歩約3分
 近鉄電車 京都線 近鉄丹波橋駅 徒歩約5分
 市バス 西丹波橋 徒歩約5分

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