勝林院(しょうりんいん)は、大原の三千院の北にある寺院
日本音楽の源流といわれる声明音律の発祥の地
来迎院と並んで天台声明大原二流の一つである魚山流声明の根本道場
法然上人らが招かれて、各宗の学僧と浄土の宗論を論談された「大原談義」「大原問答」が行われたところ
紅葉の名所
<証拠阿弥陀堂(京都市有形文化財)>
本堂
本尊の「証拠の阿弥陀」が安置されており、本尊の前の左右には、問答台(八講台)が置かれている
1777年(皇紀2437)安永6年の上棟
<鐘楼(京都市有形文化財)>
池の南にある
平安時代の創建当初の鐘楼
<梵鐘(ぼんしょう)(重要文化財)>
毎年、除夜の鐘が撞かれている
平安時代のもの
<石造宝篋印塔(重要文化財)>
境内の東の高台にある、高さ約3m
鎌倉時代のもの
基壇上部に「正和五季丙辰五月一日」と創建年代が刻まれている
<山王社>
境内の東の高台にある
<観音堂>
境内の東の高台にある
<平井乙磨の歌碑>
境内に入ってすぐ右手にある
「苔の上をまろぶがごとく流れゆく呂律の里の弥陀の聲明」
<宝泉院(ほうせんいん)>
実光院とともに声明の寺として創建される
<実光院>
勝林院の中興の祖 寂源法師が天台声明を伝承するために開いた延暦寺の別院
<普賢院>
1919年(皇紀2579)大正8年
実光院に併合される
<理覚院>
1919年(皇紀2579)大正8年
実光院に併合される
<証拠の阿弥陀>
高さ約6mの阿弥陀如来坐像
脇侍に不動明王立像、毘沙門天立像が立つ
1186年(皇紀1846)文治2年
天台宗の顕真法師(後の第61世天台座主)が、法然上人(浄土宗の宗祖 円光大師)や、
各宗の学僧(天台宗の証真(しょうしん)・三輪宗の明遍(みょうへん)・法相宗の貞慶(じょうけい)ら)を勝林院に招いて、
専修念仏について問答を行い宗論を戦わせた
この時、法然上人の教えが正しいと、阿弥陀如来の手から光明が放たれ、念仏の衆生済度(しゅじょうさいど)の証拠を
示したといわれる故事が残り、その阿弥陀如来を「証拠の阿弥陀」と称される
<法然腰掛石>
法然上人が、大原談義に出向いたときに、お伴した熊谷蓮生坊が密かに持っていた鉈(なた)を奥の薮に捨てさせたといわれる
その時に、法然上人が腰掛けた石といわれる
声明は、寺院で行われる儀式において、僧侶によって経典に旋律をつけて合唱される音楽
平曲や謡曲などの日本音楽に大きな影響を与え日本の音楽の源流であるといわれる
来迎院と並んで天台声明の大原二流の一つである魚山流声明の根本道場となった
<法然上人二十五霊場第二十一番 御詠歌>
「阿弥陀仏に 染むる心の 色に出でば 秋の梢の たぐいならまし」