正林寺(しょうりんじ)は、東山区、山科を結ぶ渋谷通沿いにある浄土宗の寺院
平安時代の武将 平重盛が小松殿を造営し、殿内に念仏堂「燈籠堂」を建立したところ
平家滅亡後には、公家 九条兼実が別邸「小松殿」を造営したところ
九条兼実は、法然上人を戒師として出家して、小松谷御房を建立して法然上人を招いた
<表門>
3間1戸
<大玄関>
<大師堂(本堂)>
九条家の河原御殿を移築して改修された
唐破風向背がつく
扁額「正林寺」は、江戸時代末期の公卿 関白 九条尚忠の筆
<開山堂>
「法生殿」の扁額がかかる
<鐘楼>
<阿弥陀経石>
返花蓮華、定印の阿弥陀如来が彫られている
入母屋造の本瓦型の笠石、台石、基礎に「弥勒四十八願」中の三願が彫られている
背面には「仏説阿弥陀経」「無量寿仏説往生浄土呪」が彫られている
高さ約2m、水成石製、江戸時代の作
京都市市内に現存する2つの阿弥陀経石の一つといわれる
平重盛が、一族の後生安堵のために、宋国 阿育王山に砂金を送る
1198年(皇紀1858)建久9年
宋国より、返礼として阿弥陀経石が送られたが、平家は滅亡しており、宗像大社の宮司屋敷に置かれた
1648年(皇紀2308)慶安元年
有志により、平重盛ゆかりの当寺に阿弥陀経石が建立されたといわれる
1746年(皇紀2406)延享3年
有志により、模刻された阿弥陀経石を、この地に建立したともいわれる
<石碑「圓光大師旧跡」>
<石碑「小松谷御坊旧跡地」「正林寺」>
<小松谷地蔵尊の祠>
<宝篋印塔>
<本尊 乾漆 円光大師像>
本堂(大師堂)に祀られている
法然上人の自作ともいわれる法然上人像
流罪になった讃岐国(香川県)の人たちのために、帰京するときに残されたもの
讃岐の幕臣 黒川氏より金戒光明寺の法春庵に送られ、当時の再建のときに遷された
<藤原兼実像>
本堂の円光大師像の左脇檀に祀られている
九条家に安置されていた九条兼実像を賜ったもの
<僧聖光弁阿像>
本堂の円光大師像の脇に祀られている
法然上人から「選択集」を授かったといわれる浄土宗第二祖 弁長(弁阿)の像
<恵空像>
開山堂に祀られている
<法然上人二十五霊場第14番 御詠歌>
「千歳ふる 小松のもとを 住みかにて 無量寿仏の 迎へをぞ待つ」
<勝念寺>
本尊 阿弥陀如来立像は、勝念寺第11世 念誉義春和尚の師僧 小松谷正林寺 義柳上人の念持仏とされる
<阿弥陀寺(山科区)>
阿弥陀如来坐像は、当 正林寺から遷されたものといわれる
<福應寺(山科区)>
地蔵菩薩像は、当 正林寺から遷されたものといわれる
<渋谷通(しぶたにとおり)>
五条橋口より清閑寺山、阿弥陀ヶ峰の谷を通り、山科、東海道に通じる道だった
旧道は、急坂の難所で、ぬかるんだ道で「渋谷(しるたに)」「滑谷」「瀋谷」「汁谷」とも記された
かつては、仏教の根本的な教義「苦集滅道(くじゅうめつどう)」にちなんで「苦集滅路(くずめじ)」とも称された
地名「上馬町(かみうままち)」「下馬町(しもうままち)」は、
難所の渋谷通で貸し出されていた馬の馬屋が建ち並んでいたためといわれる