聖澤院(しょうたくいん)は、花園の妙心寺の境内の法堂の西にある妙心寺の塔頭
塔頭の中でも寺格の高い妙心寺四派四本庵の一つ
<門>
現在のものは、1594年(皇紀2254)文禄3年、外護者の主馬守 早川長政により建立される
<庫裏>
現在のものは、1594年(皇紀2254)文禄3年、外護者の主馬守 早川長政により建立される
<玄関>
現在のものは、1594年(皇紀2254)文禄3年、外護者の主馬守 早川長政により建立される
<方丈>
現在のものは、1594年(皇紀2254)文禄3年、外護者の主馬守 早川長政により建立される
<書院>
数寄屋造風の様式になっている
<方丈庭園>
<書院西の庭>
<能見松平家4代 松平英親のお墓>
<方丈 襖絵>
片山尚景の襖絵「獅子図」「十牛図」「花鳥図」など84面がある
<書院 襖絵>
狩野栄川筆の水墨画がある
一之間、床之間の紙本墨画「山水図」1面、紙本墨画「麒麟図」6面
二之間に紙本墨画「竹林七賢図」14面
鉄斎之間には、富岡鉄斎の筆の襖絵「巌栖谷飲図」9面がある
<「摩利支天像」1巻(重要文化財)>
高麗時代のもの
<東陽禅師像>
<庸山禅師像>
<愚堂禅師像>
<四派四本庵(しはしほんあん)>
室町時代、塔頭の龍泉庵、東海庵、聖澤院、霊雲院が創建される
雪江宗深の法嗣から、四派の景川宗隆(龍泉派)、悟渓宗頓(東海派)、特芳禅傑(霊雲派)、東陽英朝(聖澤派)が出る
これにより、四派四本庵による運営体制が確立し、この四派により、一山の全権が掌握され、住持も決定された
雪江宗深は、この4人を評価して「禅は景川、徳(福)は悟渓、寿(頌)は特芳、才は東陽」とした