春光院(しゅんこういん)は、花園の妙心寺本坊の北西にある妙心寺の塔頭
禅を世界に広めることに努められており、ほぼ毎日、英語による拝観・座禅体験が行われている
ポルトガル製の南蛮寺の鐘や、キリシタンゆかりの寺宝を所蔵している
<方丈>
江戸時代中期以後の客殿建築様式の典型とされている
方丈襖絵は、金箔画で、京狩野派 狩野永岳の筆で、
東の間「琴棋書画図」、室中「月と雁」、西の間「花鳥」、上間「太公望」などが描かれている
<大書院>
方丈裏にある
1712年(皇紀2372)正徳2年に淀城跡の寝所(寝堂)が移築された
丸木のままの長押や天井に、桃山時代の様式が見られる
<方丈前庭「さざれ石の庭」>
1867年(皇紀2527)慶応3年に作庭され、後の改修されている
伊勢亀山城主で伊勢神宮を崇拝していた檀越 石川氏により、庭中に拝石が置かれた神道式の枯山水庭園となっている
提案内に、内宮の森、外宮の社があり、天照大御神と豊受大御神が祀られて、商売繁盛の信仰がある
中央に三尊式枯滝があり、白石で五十鈴川の流れを表している
<方文西庭「常盤の庭」>
創建時の堀尾吉晴の作庭といわれ、その後、改修されている
当初は、「鶴亀の庭」とも称され、亀島付近に当時の面影が残っている
<茶室 来也軒(らいやけん)>
1848年(皇紀2508)嘉永元年、裏千家3代 千宗旦弟子首座の好み
幕末に龍安寺より移されたもの
<九輪塔の堀尾家のお墓>
<躑躅(ツツジ)>
大書院前庭に、近現代の禅哲学者 鈴木大拙手植えのツツジがある
<方丈障壁画>
京狩野派9代 狩野永岳の筆による金箔画で
東の間に「琴棋書画図」18面、室中に「月と雁」24面、西の間に「花鳥図」18面、西の間上間に「太公望」15面が描かれている
「花鳥図」には、キリシタンのシンボルが2つ、密かに描かれているといわれる
<書院障壁画>
土方稲嶺(ひじかたとうれい)筆の「波図」「松図」がある
筆者不詳の「山水人物図」7面、「花鳥図」4面もある
<茶室 意泉軒障壁画>
岸連山筆の「山水図」7面がある
<極彩色 菓子来迎安楽浄土絵図>
京都の絵描きユニット だるま商店による
南蛮文化を題材にしており、織田信長が夢見たという安楽浄土の金平糖を多彩で描かれている
<南蛮寺鐘 耶蘇経銅鐘(重要文化財)>
方丈東に吊るされている銅鐘
銅鐘、高さ60cm、口径45cm、西洋風の形状で、内側から鳴らす
1560年(皇紀2220)永禄3年、織田信長が建立を認め、キリスト教宣教師が創建した南蛮寺(キリスト教会堂)で用いられていたもの
1576年(皇紀2236)天正4年、四条姥柳町に移転される
1588年(皇紀2248)天正16年、豊臣秀吉の禁教令で破却されて、鐘は、仙台の龍宝寺に移され、その後、所有が点々とする
1854年(皇紀2514)安政元年、仁和寺より当院に移されたといわれる
ポルトガル製といわれるが、幕府の目をおそれて朝鮮伝来の鐘とされた
中央に丸くイエズス会の太陽の紋章がある
紋章の中の上部に、十字架、ギリシャ語のイエスの最初の3文字「IHS」の文字がある
紋章の下部には、3つのT字形の釘様(三枝花文様)があり、磔になったキリストの両手と両足に打ち付けられた釘跡を
象徴するといわれる
紋章上下の3本の横線は、三位一体を表すといわれる
鐘の裏には、南蛮寺が完成した年といわれる鋳出銘「1577」が陽鋳されている
<絹本著色 東方朔奪桃図(重要文化財)>
明時代の張平山の筆
<蘆花浅水図(重要文化財)>
元時代後期の王若水の筆
<「堀尾吉晴像」「堀尾泰晴像」>
1612年(皇紀2272)慶長17年、松江 瑞応寺の春龍玄済の賛によるもの
堀尾家の姻戚の石川兼勝が、当院に移して、霊屋に安置する
堀尾泰晴は、開基 堀尾吉晴の父親
<座禅体験>
ほぼ毎日、英語による拝観・座禅体験が行われている
近代日本哲学の中心人物の久松真一が、春光院の一隅に住居を構えていた
久松真一は、1939年(皇紀2599)昭和14年、茶道文化の研究をする「京都大学心茶会」を創立
1944年(皇紀2604)昭和19年、禅修業の「京都大学学道道場」(後のFAS協会)を創立
1957年(皇紀2617)昭和32年、ロックフェラー財団の援助により渡米し、ハーバード大学神学部客員教授として
「禅と禅文化」を講義した
禅を世界に広めた鈴木大拙(文学博士)も久松真一を訪ねてこられ、親交を深めている
大書院前庭に、鈴木大拙手植えのツツジがある
<仏式結婚式>
同性婚(LGBT婚)も対象にして、仏式の結婚式も行われている