鎌倉時代末期
宗祖 一遍上人には、新たな宗派を起こそうという意図はなく「時衆」と称していた
「時宗」と称するようになったのは、江戸時代以後のことである
浄土教では阿弥陀如来への信仰が教えの中心となっている
浄土宗では、念仏を唱える努力が重視され、念仏を唱えれば唱えるほど極楽浄土への往生も可能になると説く
浄土真宗では、阿弥陀如来への信心を重視し、信じるだけで往生は約束され、念仏は仏恩報謝の行であると説く
時宗は、阿弥陀如来の力は強大であり、それを信じようが信じなくても、念仏さえ唱えれば往生できると説く
時宗の僧は、諸国を遊行し、賦算(ふさん)と念仏踊りを行なった
室町時代中期ごろ
全盛期を迎えるが、多数の念仏行者を率いて遊行を続けることが困難になり
幕府や大名などの保護を受けるために大がかりな遊行が行われるようになり、
庶民への宣教がされなくなり浄土真宗や曹洞宗の布教活動により衰退して行く
安養寺 (あんようじ) (東山区) 吉水草庵 円山公園 也阿弥ホテル
迎称寺 (こうしょうじ) (左京区) 洛東九番 萩の霊場
金光寺 (こんこうじ) (下京区) 空也上人 市屋道場
正法寺 (しょうぼうじ) (東山区)
染殿地蔵(そめどのじぞう)(中京区) 染殿院 四条京極釈迦堂 染殿皇后の安産祈願
長楽寺 (ちょうらくじ) (東山区) 桓武天皇の勅命 最澄 洛陽三十三所観音巡礼第七番札所(准胝観音菩薩)
白蓮寺 (びゃくれんじ) (山科区)
聞名寺 (もんみょうじ) (左京区) 洛陽第十七番地蔵(明眼地蔵) 光孝天皇塔