専修念仏(せんじゅねんぶつ)

 専修念仏(せんじゅねんぶつ)は、浄土に往生するため「南無阿弥陀仏」と、ただひたすらに念仏を唱えること

 法然上人が、膨大な「一切経」の中の、善導の「観無量寿経疏(観経疏)」から見出したもので、
念仏こそが万人を救う教えとして、浄土宗の教義となっている

【専修念仏の経緯】

【専修念仏】

 <念仏(ねんぶつ)>
 浄土教系において、「南無阿弥陀仏」と称えること
 「念」とは、「憶念」「仏隨念」「心念(観心)」「観念(観想)」「称念」などの意味がある
 「仏」とは、「仏身」「仏名」の意味がある

 「南無阿弥陀仏」とは、「阿弥陀如来に帰依し信仰する」という意味がある

 <阿弥陀如来の本願>
 阿弥陀如来が、仏に成るための修行に先立って四十八願(誓い)を立てた
 その一つ(第十八願)に、「名を称えた者を救う」という本願がある
 法然上人が、膨大な「一切経」の中の、善導の「観無量寿経疏(観経疏)」から見出す

 <専修念仏
 「南無阿弥陀仏」をただ一心に称えること
 「厳しい修行などは必要なく、念仏こそが、宇宙において唯一絶対的な存在である阿弥陀如来によって選択された
極楽往生のための唯ひとつの行であり、それ故ひたすら念仏のみを修せよ」という教え

 <浄土宗
 1175年(皇紀1835)承安5年
 法然上人が、阿弥陀如来の本願を見出したときが、立教開宗とされる
 当時の仏教は宮中や貴族のための宗教であり、学問をして経典を理解したり、厳しい修行をし自己の煩悩を取り除くことが
悟りであるとし、一般大衆を救う力はなかった
 専修念仏により全ての人々が救われるという教えが、またたく間に広がった
 法然上人は、父親の「すべての人が救われる仏の道を求めよ」という遺言を実現し、仏教史上初めて女性にも仏教の布教を行った

 <「一枚起請文(いちまいきしょうもん)」>
 1212年(皇紀1872)建暦2年1月23日
 病床についた法然上人が、亡くなる2日前、弟子の源智上人の願いを受けて著した念仏の肝要
 「智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし」
 「ただし三心四修と申すことの候うは、皆決定(けつじょう)して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちにこもり候なり」

 <「選択集(せんちゃくしゅう)」>
 正式名称:「選択本願念仏集」
 1部16章
 1198年(皇紀1858)建久9年
 帰依者の九条兼実の「念仏の教えを書物にして欲しい」との依頼を受けて著されたもの
 現在の浄土宗において根幹をなす念仏者の聖典
 さまざまな行の中から、念仏を行として選択すべきだと教えている
 草稿本(重要文化財)は廬山寺が所蔵されている

 各章ごとに、善導や善導の師 道綽の言葉を引用してから自らの見解を述べている
 時機(時間と能力)に応じて、釈尊が説いた聖教の中から自らのに合うものを選びとり、行じていく事が本義である事を説いている
 浄土に往生するために称名念仏を行う「正行」と、それ以外の行の「雑行」に分けて、正行を行うように説いている
 仏教を、娑婆世界を厭い極楽往生を願って専修念仏を行う「浄土門」と、それ以外の修行を行い悟りを目指す「聖道門」とを定義している
 末法の世に生まれた凡夫にとっては、聖道門の修行は堪え難く、浄土門に帰して念仏行を専らにしてゆくことでしか救われる道は
望めないと教えている
 その根拠として、「仏説無量寿経」にある「法蔵菩薩の誓願」を引用して、称名すると往生がかなうということを示し、
「仏説阿弥陀経」には、その誓願を果たして仏となった阿弥陀如来を十方の諸仏も讃歎していると述べて、
他の雑行は不要であると教えている
 「他力の念仏」と「自力の念仏」について、自力は聖人にしか行えないもので千人に一人、万人に一人二人救われかどうかであり、
「他力の念仏」は、名を称えた者を救うという阿弥陀如来の四十八願を根拠として必ず阿弥陀如来が救いとってくださるとし、
三心をもって念仏を行うべきと教えている

 <三心の信心>
 「至誠心(誠実な心)」・「深心(深く信ずる心)」・「廻向発願心(願往生心)」のこと
 「仏説観無量寿経」に説かれていて、「選択集」「黒谷上人語灯録」にも記されている
 念仏者の心得るべき根幹をなす大切なものとされる

 「至誠心」とは、疑うことなく心から阿弥陀如来を想い浄土往生を願うこと
 「深心」とは、二つのことを疑いなく深く信じることで、
 一つは、自身が罪悪不善の身でいつまでも輪廻を繰り返す救われ難い身であること、
 もう一つは、そのような罪深き身である自分を阿弥陀如来は「南無阿弥陀仏」と深く信じて称えれば必ず救ってくれること
 「廻向発願心」とは、一切の善行の功徳を浄土往生にふりむけ、極楽浄土に生まれたいと願う心

 三心を身につけるためには、「一枚起請文」にて、「ただし三心四修と申すことの候うは、
皆決定(けつじょう)して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちにこもり候なり」と述べ、
専修念仏を行うことで身に備わるものであると教えている

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