転法輪寺(てんぽうりんじ)は、御室の仁和寺の北東にある浄土宗知恩院派の寺院
「御室大仏」とも称されている京都最大級の仏像や、裸の阿弥陀如来像が祀られている
<本堂>
裳階(もこし)付き
<鐘楼門>
鐘楼と楼門が1つになった、単独の建物となっている竜宮造の門
重さ一千貫目(約4t)の大梵鐘が吊られており、それをくぐって境内に入る
大梵鐘は、1764年(皇紀2424)明和元年に、桜町天皇御菩提のために鋳造されたもの
突き初めの儀式は、即心院殿により行われた
形状の縦の九尺は、九界の衆生済度を表し、横の四尺二寸は、菩薩四十二位を表すといわれる
<阿弥陀如来坐像>
本堂に安置されている本尊
高さ2丈4尺(約7.5m)あり「御室大仏(おむろだいぶつ)」とも称されている京都最大級の仏像
1758年(皇紀2418)宝暦8年
関通上人により、桜町天皇追福のために新彫され、開眼供養が行われる
光背の中央には桜町天皇御追福のために納められた鏡が飾られている
胎内には、
桜町町天皇直筆の御名号
新中和門院の御祈願文
典侍即心院殿の御祈願文
関通上人の御念持佛(阿弥陀如來)一体
関通上人御染筆の造立意願文
などが納められているといわれる
北野から御室への移転したときには、路面電車の架線が邪魔になり、架線を切って運ばれたといわれる
<裸形 阿弥陀如来立像>
本尊背後の厨子内に安置されている
裸のままの童姿であり、日本に五体あるうちの一つで珍しい像
名工 賢問子の作といわれる
高さ三尺ほど(約90cm)
天智天皇の誕生にまつわる縁起によって作られ、安産守護のご利益があるといわれる
<釈迦大涅槃図(しゃかだいねはんず)>
縦5.3m、横3.9mの絹地に、釈迦の誕生から入滅までの様子が描かれている
1764年の作といわれるが、作者不明
<裸形 阿弥陀如来立像の故事>
642年(皇紀1302)皇極天皇元年頃
舒明天皇と皇后(後の皇極天皇)の間には皇子がおらず、春日の明神を後宮に勧請して皇子生誕の祈請を日夜行われた
皇后は懐妊されるが、陰陽の博士や僧侶達が占うと、必ず女の子だと言われる
皇后は、春日の明神に、「世継ぎの御子が誕生されることを願ってきたのであって、
この皇女を皇子と変えてください」と21日間の祈願を行われた
すると、夢に春日の明神が現れ「西方にいる阿弥陀様の四十八願の中には変成男子(女性は男性に変わって
極楽に生まれることができる)という大願がある。願いが叶うよう、その阿弥陀様をこちらにお迎えして参ります」と言われる
すると、辺りに光明が輝き、裸のお姿で子供の姿をされた阿弥陀様が現われ、皇后の口の中に入られたという思いをして、
眠りから覚められた
その後、皇后は少しの悩み苦しみもなく、皇子(後の天智天皇)を安産された
皇后は、名工 賢問子を召き、夢のお告のことを語り、裸形の阿弥陀如来像を作られ、天智天皇の御守本尊として祀られた