徳林庵(とくりんあん)は、山科の四宮駅の西、東海道沿いにある寺院
小野篁により作られた六地蔵のうちの1体 山科地蔵が祀られている六地蔵めぐりの一つ
琵琶琴の名手 人康親王のゆかりの地で「琵琶法師の聖地」とも称されている
東海道に面する地蔵堂(六角堂)・拝所・茶所・井戸手水などが一体として保存が図られるべきものとして
文化財環境保全地区に指定されている
<地蔵堂(六角堂)(京都市有形文化財)>
東海道に面して建つ六角の堂
山科地蔵が祀られている
鏡天井には、明治時代の画家 上田萬秋により龍図が描かれている
扁額「六つの辻 四つのちまたに 地蔵そん 道ひきたまへ みだの浄土に」とかかる
1908年(皇紀2568)明治41年の再建
2020年(皇紀2680)令和2年3月31日 京都市有形文化財に指定
<拝所(京都市有形文化財)>
地蔵堂(六角堂)の手前に建てられている
柱間を吹き放し、中央に六角形の石製香炉台があり香炉が置かれている
頭貫を通した柱の上に平三斗、中備に雲の文様の蟇股、虹梁の上に大瓶束、唐破風には兎毛通などで飾られている
東海道に面した両側の柱に「山科廻地蔵」「臨済宗 南禅寺派 徳林庵 」の門札がかかる
1884年(皇紀2544)明治17年の新築
1909年(皇紀2569)明治42年12月に改築されている
2020年(皇紀2680)令和2年3月31日 京都市有形文化財に指定
<本坊>
1892年(皇紀2552)明治25年の再建
<わらべ地蔵>
地蔵堂の裏に安置されている6体のお地蔵さん
一番右手のお地蔵は、琵琶を持っている
<井戸手水>
東海道を通る牛馬の水飲場として用いられていた
1885年(皇紀2545)明治18年
松村與三郎により掘削された
手水盤は、江戸時代後期のもの
「順番 定飛脚 宰領中 文政四巳年六月吉日」と刻まれている
「宰領(さいりょう)」とは、荷物の運搬や旅行者の取り締まりをいう
「丸に通」が刻まれており、目的地まで交代しない通し飛脚の通行手形に使われていた印で、日本通運株式会社の社章にも採用された
<蝉丸・人康親王供養塔>
地蔵堂の奥ある
南北朝時代に建立されたもの
塔身に阿弥陀三尊の梵字が刻まれている
人康親王は、検校(盲官)や琵琶法師たちに盲人・座頭の始祖 雨夜尊(あまよのみこと)や天夜尊と崇められていた
蝉丸(せみまる)は、平安時代前期の歌人で、琵琶の名器「無名」を愛用した盲目の琵琶法師だったといわれる
江戸時代には、人康親王と同じような境遇の蝉丸と混同され「蝉丸供養塔(蝉丸塔)」とされていた
近年になり、人康親王の名も刻まれた
<茶所>
参拝者や、東海道を通る人々にお茶をふるまったといわれる
鎌倉時代の作といわれる阿弥陀地蔵四体石仏が安置されている
1813年(皇紀2473)文化10年の銘の竈がある
茶釜が置かれている
<石碑「人康親王御墓」>
門前の西角に2つ並んで立っている
真北にある仁明天皇皇子 人康親王墓の参道になっている
<石碑「南無地蔵菩薩」>
門前の西角に人康親王御墓の石碑と2つ並んで立っている
<地蔵菩薩>
地蔵堂(六角堂)に祀られている
通称:山科地蔵、山科廻地蔵(やましなめぐりじぞう)、四ノ宮地蔵
852年(皇紀1512)仁寿2年
小野篁が、木幡山(こばたやま)の一本の桜の大木から六体の地蔵菩薩像を刻んだうちの1体
右手に錫状、左手に宝珠を掲げて、像高約3m
木造彩色で、100年に一度ごとに修復されている
<阿弥陀地蔵四体石仏>
茶所に祀られている
鎌倉時代の作といわれる4体の石仏
毎月24日
地蔵尊縁日祈祷
<六地蔵めぐり>
地蔵盆
8月22、23日
通常非公開の閻魔天がご開帳される
<地名「四ノ宮」の由来>
この地に隠棲した人康親王が、仁明天皇の第4皇子であったことからといわれる
人康親王が隠棲した山荘は、「山科御所」「山階宮」などと称される
<山科の人康親王ゆかりの地>
周辺には、人康親王ゆかりの地がいくつかある
人康親王の人康親王墓
人康親王を祭神とする琵琶琴元祖四宮大明神
人康親王の琵琶石がある諸羽神社
人康親王を開山として創建された十禅寺
人康親王が出家して隠棲した山荘跡