東福寺(とうふくじ)は、京都市街地の南東、東山の最南にある大寺院
京都五山の第四位の禅寺として栄え「東福寺の伽藍面(がらんづら)」と称される
明治の廃仏毀釈で規模が縮小されるが、現在も25ヶ寺の塔頭を有する大寺院
最盛期の室町時代から江戸時代には
高さ約15mの仏殿本尊の釈迦如来と、高さ約7.5mの左右の観音菩薩・弥勒菩薩があり、「新大仏寺」と称されていた
境内、通天橋一帯は紅葉の名所
5月の皐月(さつき)・杜若、6月の桔梗(ききょう)、9月の萩の名所でもある
東福寺は、新大仏と呼ばれるような巨大な本尊を安置するなど南都二大寺に影響を受けた
三門、本堂、方丈、庫裏などからなる主要伽藍の北、南、西に25ヶ寺の塔頭がある
主要伽藍の北には、洗玉澗(せんぎょくかん)という渓谷があり、
西から東へ臥雲橋、通天橋、偃月橋(えんげつきょう)という3本の橋が架かる
通天橋は、本堂から通じる廊下がそのまま橋となったもので、付近は紅葉の名所として知られている
<三門(国宝)>
三門は、空門(くうもん)・無相門(むそうもん)・無作門(むさもん)の「三解脱門」の略
南都六宗寺院の中門にあたり、南都二大寺の影響を受けて、大仏様(天竺様)・禅宗様(唐様)・和様をたくみに組み合せた建築様式
棟高約22m、五間三戸二重門、入母屋造、本瓦葺、左右に階上へのぼる山廊がある
「五間三戸」とは、正面の柱間が5つ、うち中央3間が通路になっているもの
「二重門」は、2階建ての門だが、「楼門」とは異なり、1階と2階の境目にも軒の出があるもの
創建当時の建物が焼失した後、
1384年(皇紀2044)元中元年/至徳元年に足利義持が再建に着手
1425年(皇紀2085)応永32年に完成したもの
1977年(皇紀2637)昭和52年に大修理が完成する
現存する禅宗の三門としては、日本最大最古のもので、日本三大門の一つ
正面二階の大扁額「妙雲閣」は、足利義持の筆
畳三畳分の大きさがある
楼上内部は二本の柱があるほかは広々として、
須弥壇(しゅみだん)中央に宝冠釈迦如来、左前に月蓋長者、右前に善財童子、両側に十六羅漢像が安置され、
周りには、「五百羅漢」「森羅万象」といわれる木片が置かれている
天井や柱の迦陵頻伽(極楽に住む人面鳥身の鳥)や飛龍は、中世建築では珍しい一面の極彩画
東福寺の僧だった画聖 兆殿司(明兆)と、その門人 寒殿司の作といわれる
大屋根の四隅の角柱「太閤柱」
天生大地震での損傷を、
1585年(皇紀2245)天生13年
豊臣秀吉が行った大修理の際に補足された柱
<思遠池>
三門の前にある池
<本堂(仏殿兼法堂)>
入母屋造、裳階(もこし)付き単層本瓦葺、正面七間・側面五間
高さ25.5m、間口41.4mの大規模な堂で、昭和時代の木造建築としては最大のものといわれる
多様に様式が組み合わされている
大仏様の組物と角扇垂木
禅宗唐様の桟唐戸・礎盤・鏡天井
和様の裳階の連子窓
法隆寺南大門風の破風の妻飾り
内部は、禅式床瓦敷
正面の須弥壇上に本尊 釈迦立像、脇に摩訶迦葉尊者、阿南尊者、四天王が安置されている
東西十二間南北六間の天井一面に、堂本印象の作の雲龍図が描かれている
龍の大きさは、体長54m、胴廻り6.2m、珠の直径五尺二寸、顔の長さ十二尺、角の長さ十四尺、眼の直径二尺
17日間で描かれたといわれる
1881年(皇紀2541)明治14年に仏殿と法堂が焼ける
1917年(皇紀2577)大正6年から再建工事が始まり、17年かけて
1934年(皇紀2594)昭和9年に完成する
昭和の木造建築の中で最大の建物
<方丈>
1890年(皇紀2550)明治23年に再建されたもの
南正面の前庭に、昭憲皇太后の寄進といわれる向唐破風の方丈表門「恩賜門」がある
<八相の庭>
方丈の庭園
東西南北の四庭からなり、釈迦の八相成道(はっそうじょうどう)の八相にちなんで「八相の庭」と称され、
蓬莢(ほうらい)・方丈・瀛洲(えいじゅう)・八海・壺梁(こりょう)・五山・井田市松・北斗七星の八相が表現されている
禅宗の方丈には、その寺院特有の枯山水庭園が作られるが、方丈の四周に庭園があるのは東福寺のみといわれる
1939年(皇紀2599)昭和14年
造園家 重森三玲の作
南庭は、方丈正面
巨石が配される枯山水庭園
広さ210坪の東西に細長い地割
蓬莢(ほうらい)・方丈・瀛洲(えいじゅう)・壺梁(こうりょう)の四仙島に見立てた巨石
砂紋による荒海
西方(右側)には、五山が築山され、大和絵風の神仙境が表される
正面に、昭憲皇太后の寄進といわれる向唐破風の方丈表門「恩賜門」が建つ
西庭は、くず石を方形に組んで田んぼを表した「井田市松の庭」
皐月(さつき)の刈込みと砂地が大きく市松模様になっており、
くず石を方形に組んで井田が表されている
北庭(裏庭)は、敷石と苔地で市松文様に配された「市松の庭」
南の御下賜門内に敷かれていた敷石を利用して、市松模様に配されたもの
皐月(さつき)の丸刈りと、苔地が調和している
通天橋と、渓谷(の紅葉)が借景となっている
東庭は、柱石の古材による北斗七星の石組の「北斗の庭」
東司の柱石の余材を利用して北斗七星が抽象的に表現されて、雲文様地割に配されている
<庫裏>
方丈に接続して東側に建つ
寺務が全てが執り行われ、行事のときの食事の用意も行われる
切妻を正面とした、禅宗式寺院の典型的な形式
白壁に縦横の構架材が配されている
1881年(皇紀2541)明治14年に焼失
1909年(皇紀2569)明治42年に再建されたもの
方丈唐門とともに、昭憲皇太后の恩賜建築
<開山堂(常楽庵)(重要文化財)>
通天橋を渡ったところ、主要伽藍の北側に位置する
開山堂・昭堂・客殿(普門院)・塔司寮(書院)・庫裏・楼門・鐘楼・裏門が重要文化財となっている
昭堂の中央部分は、2階建となっており、屋上に楼閣を持ち開山堂としては珍しいもの
正面柱間八間
内部は、禅式瓦敷(四半敷)
奥に建つ祀堂は、床高で開山 円爾弁円の像が安置されている
上層の伝衣閣(でんねかく)は、正面三間、中央に阿弥陀如来、右に薬師如来、左に布袋尊が祀られている
前方天井は、格子天井で、四辺の眺望を借景にした庭園が眺望できる
1819年(皇紀2479)文政2年に焼失
1823年(皇紀2483)文政6年に、一条忠良によって再建された
<普門院(重要文化財)>
開山堂の西に位置する寝殿造風の建物
開山 円爾弁円が常住していた方丈といわれる
内部は、三室に仕切られている
襖絵は、桃山時代から江戸時代の画流各派の競作による、花鳥草花・唐人物を主題とした七十四面(重要文化財)
現在は、収蔵庫に収納される
<開山堂庭園>
普門院の前庭も兼ねた庭園
表門から開山堂への参道をはさんで、左側が普門院の前庭の枯山水庭園
右側が、池泉鑑賞式庭園
枯山水庭園は、約100坪の平庭式
市松の砂紋をつけ、鶴島、亀島を象った石組を配して蓬莢山水が表わされている
池庭は、築山風で、池中に亀島がつくられ、枯滝がある
短冊石橋の杜若は、5月上旬〜下旬が見所の名所
禅院式と武家書院式とが調和されたもの
<愛染堂(重要文化財)>
通天橋を渡った、開山堂の西側に建つ
南を正面にした丹塗りの八角小円堂
単層、こけら葺、桟唐戸
内部は、瓦敷、鏡天井となっており、須弥壇上に宝塔形の厨子が置かれ、愛染明王が祀られている
「万寿寺愛染堂」と称されていたが、
1934年(皇紀2594)昭和9年の室戸台風で倒壊し、その後、現在の地に移された
唐様を主とした鎌倉時代末期の優雅さを持った現存する貴重な遺構
<経蔵(京都府指定文化財)>
方丈の西側、正面に建つ
江戸時代の宝形造りの建造物
開山 円爾弁円が、中国 宋から持ち帰った1,000余りの典籍や書物が所蔵されている
<東福寺殿鐘楼(京都府指定文化財)>
禅堂の北、経蔵前に建つ鐘楼
五社成就宮の横にも鐘楼があり、「西の鐘楼」と称される
銅鐘は(重要文化財)
鐘身1.4m、口縁外径1m、厚さ8.5cmの大鐘
西寺の遺物を、九条道家が持ち込んだもので、平安時代初期以前の鋳造といわれる
現在は、収蔵庫に収められている
<禅堂(重要文化財)>
日下門から入って右側に建つ
「僧堂」「選佛場」とも称される、座禅専修の道場
400名以上の僧が修行が行えるといわれる
1347年(皇紀2007)正平2年/貞和3年の再建
南北朝時代より現存する最大最古の禅堂として唯一のもの
桁行七間、梁間四間、単層、裳階付切妻造、本瓦葺
鎌倉風の花頭窓と格子窓、弓形の木を並べた波欄間、鏡天井
身舎(もや)中央には、二重虹梁(こうりょう)と大瓶束(だいへいづか)(下の細まった円い短柱)
扁額「選佛場」は、開山 円爾弁円の師匠である中国 宋の径山万寿寺(きんざんまんじゅじ)の無準師範の作
入口の扁額「禅堂」は、東福寺303世 福島慶道管長の筆
明治時代の火災時に、仮本堂に改造された遺構が残る
<東司(とうす)(重要文化財)>
三門を入ってすぐ左側、禅堂の南に建つ
禅宗式のお手洗で、「百間便所」「百雪隠(ひゃくせっちん)」「100人便所」などとも称される
室町時代の東司の唯一の遺構として貴重なもの
桁行七間(約35m)、梁間四間(約14m)、一重切妻造
古い禅宗様で、化粧屋根裏の廂、鏡天井、正背面の切妻飾りは、身舎が二重虹梁大瓶束となっている
禅僧は、お手洗も修行の一つとされ、厳しい作法が定められていたといわれる
当時の排出物は貴重な堆肥肥料で、京野菜には欠かせなかったといわれる
叢林として大きな現金収入にもなっていたといわれる
<浴室(重要文化財)>
三門の東側に建つ
1459年(皇紀2119)長禄3年の建築
京都最古の浴室建築の遺構
前面を入入母屋造、後方を切妻造にした単層本瓦葺の建物
入口には、両開きの桟唐戸、左右に連子窓、内部中央には鏡天井、化粧屋根裏、
土間を入った奥左右には腰掛けが設けられている
蒸し風呂(サウナ風呂)となっており、水と、湯を沸かす薪の節約を図っている
破風の2つの室(サウナ)が並び、奥の釜で薬草をいれた湯を沸かし、蒸気を下からスノコを通して送る
現在でも使用できる
<五社成就宮(京都府指定文化財)>
1594年(皇紀2254)文禄3年の再建
一間社流造、檜皮葺
東福寺の鎮守社として、石清水八幡・賀茂・稲荷・春日・日吉の五社を祀り「五社明神社」とも称する
元は法性寺にあり、摂政 藤原忠道の頃の祭礼「総社祭」は、祇園会にも匹敵する賑やかさがあったといわれる
1243年(皇紀1903)寛元元年8月22日
総社祭に九条道家や、右大臣 藤原実経、左大臣 藤原忠家が参列したといわれる
現在では、11月第2日曜日にお火焚祭が行われ、家内安全・無病息災・商売繁盛・学業上達が祈願される
<東福寺大鐘楼(京都府指定文化財)>
五社成就宮の横にある鐘楼
経蔵前にも鐘楼があり、「東の鐘楼」と称されている
1671年(皇紀2331)寛文11年の建立
<十三重石塔(重要文化財)>
五社成就宮の前に建つ
南北朝時代のもの
高さ4.5mの花崗岩製
1343年(皇紀2003)興国4年/康永2年
東福寺の創立祈願のため造立される
初重軸部の金剛界四仏の梵字も美しく、全体の調和もとれた逸物
<光明宝殿>
本堂東側にある文化財収蔵施設
1981年(皇紀2641)昭和56年の完成
東福寺および塔頭の文化財が収蔵されており非公開
<北大門(京都府指定文化財)>
<中大門(京都府指定文化財)>
<南大門(京都府指定文化財)>
<仁王門(重要文化財)>
北門を入ったすぐ奥に直角に建つ
室町時代の建築
万寿寺から移築されたもの
三間一戸(柱間3つ、通路1つ)の八脚門、切妻造、本瓦葺
大きな仏堂の材を利用されたといわれ、柱が太く、組物・妻飾り細部の様式が珍しい
<月下門(重要文化財)>
臥雲橋の手前(北側)に建ち、開山堂・普門院へ続く門
1268年(皇紀1928)文永5年
一条実経が常楽庵を建立したときに、亀山天皇から京都御所の月華門を下賜されものといわれる
切妻造、檜皮葺、朱塗りの四脚門
板蟇股など、細部に鎌倉時代の特徴を持つ
<日下門(京都府指定文化財)>
中門から本堂前へ続く間に建つ門
<六波羅門(ろくはらもん)(重要文化財)>
南正面に立つ本坊伽藍の最南端にある惣門
鎌倉幕府の六波羅探題の遺構といわれる
1333年(皇紀1993)元弘3年/正慶2年の戦の矢庇のあとが残っている
<勅使門(京都府指定文化財)>
六波羅門と直角に建つ
<臥雲橋(京都府指定文化財)>
洗玉澗渓谷(せんぎょくかんけいこく)に架けられた東福寺三名橋(臥雲橋・通天橋・偃月橋)の一つ
一番西に架けられており、北門から日下門に渡る本坊の外側の橋
<通天橋>
洗玉澗渓谷に架けられた真ん中の木造橋廊
仏殿から開山堂に通じる廊下がそのまま屋根付きの橋となったもの
1380年(皇紀2040)天授6年/康暦2年
春屋妙葩(しゅんおくみょうは)が、労苦して谷を渡る僧を救うために架けたといわれる
歩廊入口に、春屋妙葩の筆による扁額「通天橋」が掲げられている
その後、何度か架け替えられ
1959年(皇紀2619)昭和34年、台風により倒壊
1961年(皇紀2621)昭和36年に再建される
<偃月橋(えんげつきょう)(重要文化財)>
三ノ橋渓谷に架かる木造橋廊
本坊より塔頭、龍吟庵・即宗院に渡る橋
桁行十一間、梁間一間、単層切妻造、桟瓦葺
1603年(皇紀2263)慶長8年に架けられる
<通天紅葉>
洗玉澗渓谷一帯に繁る楓(カエデ)
開山 円爾弁円が、中国 宋より持ち帰ったものといわれる
葉が三つに分かれ、黄金色に染まる
約2000本が成育しているといわれる紅葉の名所
<イブキ(京都市登録天然記念物)>
<一華院>
<光明院>
波心の庭
<正覚庵>
「筆の寺」と称され、筆供養が行われる
<勝林寺>
東福寺の毘沙門天、毘沙門堂勝林寺
<即宗院>
鎌倉時代初期に九条兼実の山荘「月輪殿」だった跡地で、庭園は京都市指定名勝となっている
西郷隆盛が滞在し幕末維新の舞台となった
<退耕庵>
小野小町ゆかりの寺
鳥羽・伏見の戦の戦死者の菩提寺
<天得院>
杉苔の枯山水庭園
6月には、美しい桔梗の花の庭になる名所
<同聚院>
五大堂の遺跡
<芬陀院>
一条家の菩提寺
雪舟が手がけた二つの庭園がある
<明暗寺>
明暗尺八根本道場
<龍吟庵>
東福寺第三世 大明国師 無関普門の住居跡で、東福寺第一の塔頭
方丈(国宝)、庫裏(重要文化財)、表門(重要文化財)などが建つ
<龍眠庵>
<霊雲院>
京都十三仏霊場第三番霊場(文殊菩薩)
臥雲の庭
<霊源院>
水子供養と永代供養墓・霊園がある
<絹本著色 無準師範像 自賛(絵画)(国宝)>
南宋時代1238年の作
無準師範(ぶじゅんしばん)は、開山 円爾弁円の師にあたる宋の高僧
円爾弁円が、無準師範から与えられたもの
禅宗では、弟子に修行が完了し嗣法として独立する証として、
師匠の肖像を描き賛をもらう慣わしがあったといわれる
後の日本の頂相制作の手本となったといわれる
<絹本墨書 無準師範墨蹟 円爾印可状(国宝)>
中国 嘉熙元年(1237年)10月
無準師範が、修行中の弟子である円爾弁円に書き与えた印可状
署名・花押についで「無準」「範」の朱印が押されている
禅宗では、道に熟達した弟子には師から必ず与えられる証
無準師範の墨蹟の中でも代表的なもので、禅宗史上において貴重なものといわれている
本紙が絹地であることも珍しとされる
<絹本著色 聖一国師像(重要文化財)>
開山 聖一国師 円爾弁円の画像
室町時代の画聖 明兆(兆殿司)の作
円爾弁円の死後、約百年後の図
鮮やかな色彩、迫力と写実性があるといわれている
<五百羅漢図(重要文化財)>
室町時代初期の画僧 明兆によって書かれたといわれる
45幅の大作
墨の描線や濃彩が鮮やかな逸品
明兆は、東福寺に入寺して、殿司(でんす)(仏殿のことを司る役)となり「兆殿司」と称される
<宝冠釈迦如来>
三門の楼上に祀られている
<大涅槃図>
縦は約12m・横は約6mもある大きなもの
室町時代の東福寺の僧だった画聖 兆殿司(明兆)の作
8本の沙羅双樹に囲まれて、頭を北に向けて右脇を下にして横たわっている釈迦と、
その周りに悲しそうにしている弟子・菩薩・50種類以上の動物が描かれている
猫が描かれている珍しいもの
明兆が、涅槃図を作成しているとき赤い絵の具が見つからなかったときに、猫が見つけてくれたため
そのお礼に描かれたものといわれる
<禅院額字ならびに牌字(はいじ)19幅(国宝)>
中国 南宋時代末期の著名な書家 張即之の筆
円爾弁円が博多の承天寺の開山となったときに、無準師範が径山から送ってきたもの
<大仏の左手>
仏殿の東北隅に、約2mほどある大仏の左手が祀られている
1881年(皇紀2541)明治14年
仏殿が火災で焼失したときに、本尊の左手だけが救出されたもの
当時の本尊 釈迦如来像は約15mもある大仏で、左右には高さ約7.5m観音菩薩・弥勒菩薩も祀られており
「新大仏寺」とも称されていた
<宋版太平御覧(103冊)(国宝)>
<宋版義楚六帖(12冊)(国宝)>
<修正会> 1月1日〜3日
<懺法会>
2月初午の日
鎮守五社成就宮の祭日
観世音菩薩に懺悔し、加護が祈願される
<釈迦涅槃会>
3月14〜16日
釈迦の入滅を偲んで行われる法要
本堂(仏殿兼法堂)にて大涅槃図が掲げられる
「花供御(はなくそ)」と称される、あられのお菓子が供される
<降誕会>
4月8日
釈迦の誕生を祝う法要(花祭)
<佛鑑忌>
4月18日
開山 円爾弁円の師である無準師範禅師の毎歳忌
<精霊送り(盂蘭盆)> 8月16日
<初祖忌>
10月5日
禅宗の開祖 達磨大師の法要
<開山忌>
10月17日
開山 円爾弁円の祥月命日の毎歳忌
<筆供養>
11月23日
塔頭 正覚庵
青竹の先を布で覆い墨を含ませた筆神輿(ふでみこし)が、東福寺山内を練り歩く
筆塚前で大護摩供があり、奉納された使い古しの筆や鉛筆が燃やされ供養される
筆に縁のある書家や作家により、書道上達や文運隆盛が祈願される
<成道会>
12月8日
釈迦が悟を開かれた因縁を祝う法要
<除夜(百八の鐘)> 12月31日