雲林院(うりんいん)は、北区の紫野にある臨済宗大徳寺派大本山大徳寺の境外塔頭
北大路通を挟んで大徳寺の南東にある
平安時代は淳和天皇の離宮であり、天台宗の僧正遍昭が、元慶寺の別院として大伽藍とする
桜と紅葉の名所として「古今和歌集」以下の歌集の歌枕となり、「今昔物語集」「大鏡」「伊勢物語」などにも登場する
現在は、観音堂だけとなっている
かつては、建勲通の南端まで、現在の紫野雲林院町一帯にかけて広大な境内があったとされる
大徳寺通(大宮通)沿いに「有栖川」と称される小川が流れ、
北大路通の一筋南の通りには「御所の橋」が架けられていたといわれる
現在の境内に本堂はない
<観音堂>
十一面千手観世音菩薩、大徳寺開山 大燈国師像が安置されている
1706年(皇紀2366)宝永3年の再建
<紫雲弁財天社>
<賓頭盧尊者社>
<南無地蔵大菩薩社>
<十一重石塔>
<僧正遍昭の歌碑>
「天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ」(古今和歌集)(小倉百人一首)
<句碑>
京都出身の昭和時代の俳人 岩城久治(いわきひさぢ)の句
「はじめなかをはり 一切大文字」
<十一面千手観世音菩薩>
観音堂に祀られている本尊
<大燈国師木像>
大徳寺開山 大燈国師 宗峰妙超の木像
観音堂に安置されている
<江西和尚木像>
中興の江西和尚の木像
観音堂に安置されている
<やすらい祭>
4月に各所で行われる「やすらい祭」は、かつて「紫野御霊会」として雲林院で行われていたといわれる
玄武神社と今宮神社により引き継がれている
「源氏物語」「山槐記」「今昔物語」「伊勢物語」「平家物語」などの舞台として数多く登場する
<古今和歌集>
「紫の雲の林を見わたせば法にあふちの花咲けにけり」(古今和歌集:肥後)
以来、歌枕とされる
<小倉百人一首>
「天つ風雲のかよひぢ吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ」(僧正遍昭)
<雲林院のみこ(常康親王の歌>
舎利会に山にのぼりて帰りけるに、桜の花のもとにてよめる
「山風に 桜吹きまき乱れなむ 花のまぎれにたちとまるべく」(古今和歌集)
<西行の歌>
「これやきく雲の林の寺ならん 花を尋ねるこころやすめん」
「雲の林」とは、桜が満開になっている様子を表わしたもの
<源氏物語>
第10帖「賢木」の巻で登場する
秋の頃、藤壺の中宮から冷たくされた光源氏が、機嫌を悪くして、亡き母 桐壺の更衣の兄君のいる雲林院に籠る
そこで天台宗の経典60巻を読んで、分からないところを僧たちに教えを請いながら過ごす
作者 紫式部が、雲林院で晩年を過ごしたといわれる
紫式部の墓所伝承地が雲林院の近くにある
かつて雲林院境内にあった大徳寺塔頭 真珠庵に「紫式部産湯の井戸」がある
<「大鏡」>
雲林院の菩提講が登場する
講は、極楽浄土に導く法華経が説教される会として人々が集まっていた
菩提講で落ち合った老人の昔物語が記されている
<伊勢物語>
謡曲「雲林院」による
伊勢物語の大ファンだった摂津国の芦屋の里に住む在原公光は、夢の中で在原業平と出会ったことから、京都の雲林院にやってくる
夜になり、在原業平の霊が現れて二条后との逃避行の逸話などの話を聞く
<謡曲「雲林院」>
幼少の頃から「伊勢物語」の大ファンだった摂津国の芦屋の在原公光が夢を見た話
ある夜、雲林院で在原業平と二條后とが伊勢物語を持って佇んでいた夢を見る
不思議に思って雲林院に行ってみる
老翁に勧められて、木陰で寝ていると、在原業平の霊が現れて、伊勢物語の恋愛の事などを語り、
桜月夜の中で舞いを披露するのを見ていると、夜も明けて在原公光も夢から覚める
<僧正遍昭>
桓武天皇の孫、六歌仙や三十六歌仙の一人
869年(皇紀1529)貞観11年
仁明天皇の皇子 常康親王より雲林院を譲り受けて別院とした
<紫式部墓所>
現在、雲林院の東、堀川通に面している紫式部のお墓は、
かつて広大だった頃には、境内にあったといわれる
<有栖川>
「有栖川」という名前の川は、都にいくつか流れていたといわれる
「有栖」とは、禊(みそぎ)の行われる川を意味していた
雲林院南に、賀茂社の斎院が置かれていたことで、有栖川と称されていた
鷹ヶ峰の湧水を水源とし、大徳寺の東、建勲神社鳥居前付近を流れていたといわれる
淳和天皇の離宮があったことから「御所の橋」と称される石橋が架けられていた