雲龍院(うんりゅういん)は、泉涌寺の南の高所にある塔頭で別格本山とされる
南北朝時代に後光厳天皇が建立され、三代にわたり菩薩寺となる
後円融天皇が妙法写経を発願され、写経道場として受け継がれ、現在も誰でも写経体験ができる
<不明門(正門)>
<本堂「龍華殿(りゅうげでん)」(重要文化財)>
寄棟、入母屋造、さわら材を竹の釘で打った柿葺の珍しい建物
水墨作家 堂野夢水作の襖絵「双龍風雷図」14面がある
奥の霊明殿のために、南面から築地塀が巡らされている
1389年(皇紀2049)元中6年/康応元年
後円融天皇により、妙法写経を行う龍華殿が建立される
その後、焼失する
1501年(皇紀2161)文亀元年
後柏原天皇の勅命で、後土御門天皇の葬儀のときに用いられた御黒戸御殿を賜り、「如法御殿」と名付けられ、
写経の道場とされる
地震で倒壊
1639年(皇紀2299)寛永16年
後水尾上皇の援助のもとにが再建される
1646年(皇紀2306)正保3年
現在の本堂が再建される
<霊明殿>
皇族の位牌堂
瓦葺、入母屋造
前庭に石灯籠が一基だけ置かれている
内陣の中央に、北朝の後光厳天皇、後円融天皇、後小松天皇、称光天皇の尊牌
左側には、後水尾天皇から孝明天皇までの歴代天皇の尊牌
右側には、東福門院、普明照院など江戸時代の皇子・皇女の尊牌が奉安されている
1868年(皇紀2528)明治元年
孝明天皇・大宮御所・静寛院宮・各尼門跡宮からの援助を受けて再建される
<書院>
霊明殿の奥にあるL字型の建物
角窓と丸窓がある
<庭園>
書院の東側にある広い苔地の庭園
庭石の2つは、東山七条にあった豊臣秀吉が建立した大仏殿の礎石といわれる
北西の角には、丸い手水鉢が置かれている
<客殿>
<庫裡>
山門の正面に建っている
<鐘楼>
山門を潜り左手にある
<鎮守社>
山門を潜り左手にある
<薬師三尊像>
本尊の薬師如来坐像と、脇待の日光菩薩立像・月光菩薩立像
鎌倉時代の作
薬師如来は「瑠璃光王」や」大医王尊」などとも称され、病気平癒など現世利益として信仰されている
西国薬師如来四十番霊場
<絹本着色 後円融院宸影(ごえんゆういんしんえい)(重要文化財)>
1499年(皇紀2159)明応8年
土佐光信の筆
後土御門天皇宸翰の勅賛がある
<法華経(開結共)10巻(重要文化財)>
巻八に後奈良天皇宸翰の跋がある
泉涌寺と雲龍院との共有
<走る大黒天尊像>
庫裏の台所に安置されている大黒天
「俵の上に乗り長者姿で笑っている」姿ではなく、大きな袋を背負い、わらじ履きで、左足を一歩踏み出している
鎌倉時代の作
<書「龍淵」>
大石良雄(大石内蔵助)の筆
<星供の九曜星本尊9体>
空海が日本に持ち帰った占星術「星供(ほしく)(星まつり)」による本尊
全ての人は、予め定められた星に属して生まれており、一年の災いを除くために、その星を一年の始まりの節目である節分に奉る
星供の九曜星ごとの本尊の9体が祀られている
<襖絵「双龍風雷図」14面>
本堂 龍華殿にある雲龍図の襖絵
水墨作家 堂野夢水の作
<泉山(せんざん)七福神巡り>
1月成人の日
泉涌寺山内の塔頭に七福神が祀られていている
あずきがゆ、こぶ茶、甘酒などがもてなされる
5番 雲龍院の大黒天
<如周僧正法要>
2月18日
中興の祖 如周僧正法要と御献茶式
<奉納写経会法要>
4月27日
一年間に寄せられた写経を、後円融天皇御分骨所に納経される法要
<開山忌法要>
6月27日
開山 竹厳聖皐上人の御威徳を偲び法要が行われる
<薬師御用納め(ひと文字写経奉納)>
12月23日
今年一年の無事御礼と新年の無病息災を本尊薬師如来に願い、ひと文字写経にて一年を修める
<拾遺都名所図会>
1787年(皇紀2447)天明7年の刊行
雲龍院について、「泉涌寺の塔中なり、泉涌水の上にあり。仏殿の本尊薬師仏、坐像二尺五寸。
後光厳院、後円融院二帝の宸影を安置す。又同所後山に後光厳院、後円融院、後小松院の三陵あり。
当院は泉涌寺より古来の塔頭なり。開基は竹厳律師」と記されている