金剛寺(こんごうじ)八坂庚申堂(やさかこうしんどう)は、法観寺(八坂の塔)のすぐ西にある寺院
日本三庚申の一つで、庚申信仰発祥の地とされる
境内には、多くのくくり猿が吊り下げられている
<山門>
朱塗り
屋根に「見ざる、言わざる、聞かざる」の3匹の猿がいる
<本堂>
正面奥に建つ
本堂の周りには、色とりどりの「くくり猿」が、参拝者により吊るされている
正面中央には、秘仏の本尊 青面金剛が祀られている
左手には、地蔵菩薩や聖徳太子などの像
右手には、不動明王や大黒天、開基 浄蔵貴所などの像
1678年(皇紀2338)延宝6年
現在の本堂が再建される
<石仏地蔵の小堂>
<石碑>
山門の前に立つ
「日本最初 庚申尊」と刻まれている
<本尊 青面金剛(しょうめんこんごう)>
末法の乱れた世の人々を救おうと、釈迦と阿弥陀と薬師如来が相談され、その結果、青面金剛となって現れたといわれる
青面金剛は、人を食う夜叉の姿で現れ、悪人を食らい、善人を食わないといわれる
人間の体の中から出ている三尸の虫も食べるといわれる
腕は、4本または6本で、足元に邪鬼を踏みつける形をしている
<庚申待ち(こうしんまち)>
庚申(こうしん)とは、干支でいう庚申(かのえさる)の日のことで、60日ごとに巡ってくる
中国の道教によると、
人間の頭部・腹部・脚部にそれぞれ住み着いている三尸の虫(さんしのむし)が、庚申の夜ごとに1匹づつ寝ている間に
体から抜け出し、天帝という神さんに、その人の行った悪行を報告しに行くといわれる
天帝は、その悪行の罰としてその人の寿命を縮めるといわれ、罪は「鬼籍」と称される台帳に記録されて、
その数が500を超えた時に、その人が死ぬといわれる
平安時代に、道教の教えが日本に伝わり、陰陽師によって広められ、
三尸の虫は、人間が寝ている間しか体を抜けられないため、庚申の夜は寝ないで徹夜をして過ごす「庚申待ち」という風習が、
貴族の間で行われてきた
室町時代には、庶民にも「庚申待ち」が広がり、江戸時代まで続いた
その後、青面金剛が、この三尸の虫を食べるといわれ、「庚申待ち」には、青面金剛を祀る風習が広まった
この日、寝ないで一晩一心に願い続ければ如何なる願いも叶うといわれる
青面金剛は、「庚申さん」と称されるようになった
<青面金剛(しょうめんこんごう)>
秘仏の本尊
奈良時代
秦河勝が、本尊 青面金剛を、秦氏の守り本尊として中国から招来したもの
2004年(皇紀2664)平成16年4月11日(庚申の日)
24年ぶりに開帳される
<脇侍 四大夜叉(しだいやしゃ)>
<脇侍 不動明王(ふどうみょうおう)>
<脇侍 弁財天(べんざいてん)>
<脇侍 地蔵菩薩(じぞうぼさつ)>
<脇侍 大黒天>
<脇侍 大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)>
<脇侍 天神(てんじん)>
<脇侍 三猿(さんえん)>
<木像 賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)>
境内のほぼ中央におかれている
釈迦の弟子で、神通力第一といわれている十六羅漢の一人
撫で仏として信仰されてきている
<コンニャク封じ祈祷・コンニャク焚き>
庚申の日
開基 浄蔵貴所大法師が、青面金剛の霊示を受けて、祈祷されたコンニャクを3つ、北を向いて庚申尊を念じながら
無言で食べれば諸病諸厄が免れるとして施したといわれる
それにちなみ、猿形に抜いたコンニャクが3個振舞われる
<庚申護摩供>
庚申の日の午前11時と午後3時
<タレコ封じ>
下の世話にならず元気に過ごすための祈祷・帯下の病平癒の祈祷
<鈎召祈祷(こうちょうきとう)>
家出人・行方不明・失せ物を引き寄せる祈祷
<くくり猿>
色とりどりの布で作られた猿の人形の手足をくくりつけ、丸められた状態になったもの
体内には、本尊 青面金剛のお札が納められ、開眼の秘法によって魂が込められている
人の中にある「欲望」が動かないように、庚申さんによってくくりつけることを祈願されている
<開基 浄蔵貴所>
平安時代の文章博士 三善清行の息子
学問や声明・文学にも秀でた修験者
祇園祭の山鉾「山伏山」に祀られている
死んだ父親を蘇生させ、一条戻橋の由来となる
庚申堂の隣に立つ八坂の塔(法観寺)が傾いたときには、霊力でまっすぐに直したといわれる