矢取地蔵寺(やとりじぞうじ)は、九条千本の羅城門跡の向かいにある小さなお堂
<石造 矢取地蔵尊>
高さ約160cm
右肩に矢傷の跡が残っているといわれる
当初は「矢負地蔵(やおいじぞう)」と称されていたといわれる
<地蔵堂>
1885年(皇紀2545)明治18年3月
地元 唐橋村(八条村)の人々により寄進され建立
昭和時代初期
九条通の拡幅工事のときに、地蔵堂周辺から多数のお地蔵が発掘され、地蔵堂の右側に祀られている
<雨乞い合戦>
平安時代初期
824年(皇紀1484)天長元年夏
長期間雨が降らず大干ばつとなり、淳和天皇は、東寺の弘法大師 空海と、西寺の守敏大師(しゅびんたいし)に、
神泉苑での降雨祈祷を命じる
先に名乗りをあげたのが守敏大師
17日間も祈祷を続けたが雨は降らなかった
次に空海
守敏大師は、雨を降らす龍神の動きを呪術によって止めていたという
しかし、空海は、天竺の無熱池に棲む善女龍王(ぜんにょりゅうおう)を勧請し、降雨祈祷を行い、
みごとに3日3晩、雨を降り続けさせたといわれる
これにより、神泉苑において雨乞いの儀式が行われるようになったといわれる
面目をつぶされた守敏大師は、空海に恨みをもち、
羅城門の近くを通る空海を待ち伏せ、後ろから矢を放つ
そこに一人の黒衣の僧が現れ、守敏大師の矢を右肩に受け、空海は難を逃れた
空海の身代わりになった僧は、地蔵菩薩だったといわれ「矢取地蔵」と称されるようになる