要法寺(ようぼうじ)は、地下鉄 東山駅の北西にある日蓮本宗の大本山
寺院が立ち並ぶ新洞仏教会の地区、東大路通から、孫橋通を西に入ったところにある
鎌倉時代後期、日蓮宗の僧 日尊上人により法華堂(上行院)が開かれたのが由来
その後、日辰により上行院と住本寺を統合して要法寺が建立された
多くの堂宇と7つの塔頭と内墓があり、境内の総面積は約13,500m2
<本堂>
総檜造
本尊、日興書写の法華首題、日蓮像が安置されている
扁額「玄宗極地 本時上行 扶桑恵日 長照閻浮」は要法寺三十世 日良上人の筆
1774年(皇紀2434)安永3年3月15日の再建
1987年(皇紀2647)昭和62年から大修理が行われ、1989年(皇紀2649)平成元年10月13日に完了
<開山堂>
重層入母屋造
等身大の日尊上人が祀られている
「新堂」と称されていた
1830年(皇紀2490)天保元年11月20日の再建
1915年(皇紀2575)大正4年
「開山堂」と改称される
1988年(皇紀2648)昭和63年から大修理が行われ、1989年(皇紀2649)平成元年10月に完了
<客殿>
各種の儀式が行われている
1780年(皇紀2440)安永9年の建立
1960年(皇紀2620)昭和35年にに焼失
1996年(皇紀2656)平成8年8月
御開山日尊上人第六五〇遠忌記念事業により再建される
<庫裏>
1996年(皇紀2656)平成8年8月の再建
<大書院>
1996年(皇紀2656)平成8年8月の再建
<対面所>
1996年(皇紀2656)平成8年8月の再建
<鐘楼堂>
1737年(皇紀2397)元文2年12月の再建
梵鐘は、1711年(皇紀2371)正徳元年の造立
<釈迦堂>
釈迦如来が祀られている
<山門>
南側の表門
伏見城の聚楽門であったといわれる
1724年(皇紀2384)享保9年4月に現在の地に移築された
<庭園>
本堂と客殿との間の庭園
1996年(皇紀2656)平成8年に改修される
<清涼池>
本堂前にある
1778年(皇紀2438)安永7年に救済橋がかけられる
1718年(皇紀2378)享保3年
境内に多くの松が植えられ、後に「松の寺」と称されるようになる
豊公の手水鉢
豊臣秀吉ゆかりの手水鉢
景清の牢の石柵石
平家の平景清(悪七兵衛)が、源氏に捕えられ監禁された音羽川付近の牢屋の石柵だった
平景清は、その牢屋を脱獄し、再び捕まり鬼界ヶ島に流された
<薬医門(書院門)>
1779年(皇紀2439)安永8年3月の建立
<西門(高麗門)>
伏見城の遺構といわれる
1857年(皇紀2517)安政4年4月に現在の地に移築された
1996年(皇紀2656)平成8年8月に修理された
<宝蔵>
1842年(皇紀2502)天保13年
宝形造・唐破風・土蔵形式により再建される
紫震殿の曼茶羅・称徳符法の曼茶羅など、各種霊宝、仏像などが収納されていた
径蔵と併合した収蔵庫を新営するために取り壊された
<径蔵>
1794年(皇紀2454)寛政6年
宝形造・土蔵形式により再建される
経典や古文書・版木などが収納されている
妙種院
真如院
本地院
本行院
顕寿院
実成院
法性院
<金銅蓮華唐草文透彫経箱(重要文化財)>
天文二十四年(1555年(皇紀2215)天文24年)の銘がある
京都国立博物館寄託
<紫宸殿曼荼羅>
<称徳符法曼荼羅紺紙金泥法華経 8巻>
2月16日 宗祖日蓮聖人誕生会
4月28日 立教開宗会
5月 8日 御開山会
10月13日 宗祖御会式
<カルガモの親子>
2010年(皇紀2670)平成22年頃から
鴨の親子が、清涼池から鴨川を目指す様子が、初夏の風物詩になっている
<日蓮本宗>
宗祖 日蓮、二祖 日興、三祖 日目、第四代 日尊
1876年(皇紀2536)明治9年
要法寺末寺84ヶ寺が、富士門流を統一した日蓮宗興門派を結成し、後に「日蓮本門宗」となる
1941年(皇紀2601)昭和16年
日蓮本門宗、一致派の日蓮宗、勝劣派の顕本法華宗とともに三派合同を行い、新たに日蓮宗が結成される
1950年(皇紀2610)昭和25年12月
要法寺と末寺50ヶ寺が日蓮宗から独立し、日蓮本宗を結成した
<書籍出版>
印刷史上において貴重なもの
1607年(皇紀2267)慶長12年
武将 直江兼続が、「文選」31冊を要法寺の銅活字で印刷させた
「法華経伝記」「天台四教儀集註」などが出版された