楊谷寺(ようこくじ)は長岡京市の西山、浄土谷にある西山浄土宗のお寺
空海ゆかりの独鈷水が湧き出ており、眼病平癒の祈願所として天皇家公家などからの信仰を得ていた
中御門天皇の勅刻の十一面千手千眼観世音菩薩が、奥ノ院の本尊として祀られている
境内には、4500株の紫陽花(あじさい)が植えられ「紫陽花の寺」とも称される
<塀>
天皇家ゆかりの寺として、寺格の一番高い5本線が入っている
<参道>
小さな門前町から山門までの参道は、一直線の石畳になっている
<山門(勅使門)(京都府指定文化財)>
切妻造、本瓦葺、四脚門(刺客門)
「立願山」の扁額が架かる
かつては、皇族・公家などの専用の勅使門だった
元禄年間(1688年〜1704年)の再建、1775年(皇紀2435)安永4年の建立ともいわれる
<石像 風神像・雷神像>
<手水舎>
<鐘楼>
<本堂(京都府指定文化財)>
江戸時代、元禄年間(1688年〜1704年)の再建
撫で仏の賓頭盧(びんづる)さんが置かれている
<庫裏(京都府指定文化財)>
元禄年間(1688年〜1704年)の再建
<書院(京都府指定文化財)>
庫裏に続いている建物
明治時代後期の建物
<書院前庭 浄土苑(京都府指定名勝)>
山の急斜面を巧みに利用され、多くの石組、刈込、灯籠、植栽による枯山水庭園
江戸時代中期の作庭
北西には、池泉も造られ、山から滝を落とし、石橋が架けられている
モリアオガエルが産卵する
秋には、刈込のドウダンツツジや、楓が紅葉する
<十三石仏>
浄土苑に置かれた大きな石を仏像に見立てられ、
追善菩提のために初七日から三十三回忌までの十三仏事に当てられた十三仏とされる
阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩、不動明王など
<地蔵堂>
親子地蔵が祀られている
<阿弥陀堂>
阿弥陀如来坐像・観音菩薩・勢至菩薩の三尊が祀られている
善導大師像、円光大師像(法然上人)も安置されている
厨子は、豊臣秀吉の側室 淀殿の寄進によるもので、 江戸時代に本堂から阿弥陀堂に移された
江戸時代の建立
<寺宝庫>
歴代天皇から奉納された品々が収められている
<納骨堂>
信者さんのお骨が祀られている
<愛染堂>
愛染明王が祀られている
通称:あいりきさん
男女和合、恋愛成就、夫婦円満のご利益がある
<護摩堂>
<経蔵>
<観音請記念碑>
<正一位 眼力稲荷大明神>
本殿の裏にある
伏見稲荷大社の末社 眼力社より勧請された
背後の湧水「神徳水」をくんで、飲んだり眼を洗うと眼病が治るといわれる
毎月17日の縁日に、水をくんで、稲荷社にお供えした後、持ち帰って用いられる
<弁天堂>
護摩堂の奥にある
淀殿弁財天が祀られている
堂の横には、湧き水の神徳水(みのりすい)がある
<奥ノ院>
扁額「中御門天皇 勅刻尊像」が掛けられている
右手には二十八部衆像が安置
1930年(皇紀2590)昭和5年の再建
<奥之院 眼力稲荷社(がんりきいなりしゃ)>
奥之院の裏にある
学問、先見の明(心眼)のご利益があるといわれる
<奥の院参道>
回廊が、山の斜面に造られ、書院から奥ノ院まで続いている
周囲には、27種、4500株の紫陽花(あじさい)が植えられ「あじさいの道」と称され、6月下旬から7月中旬が見ごろ
<心琴窟>
<弘法大師お砂踏み>
独鈷水近くに立つ弘法大師の足形
足形の下には、四国八十八霊場の砂が敷いてあり、足形に足を置いて祈願すると足腰が丈夫になるといわれる
<霊水 独鈷水(おこうずい)>
現在も、多くの水量が湧き出している
811年(皇紀1471)弘仁2年
乙訓寺の別当(総括管理の僧官)を命じられて、楊谷寺を参詣した空海が、
お堂のそばの湧き水で、眼のつぶれた小猿を抱いて、その眼を懸命に洗っている親猿を見かける
空海は、その小猿のために17日間の祈祷を行うと、満願の日に小猿の眼が無地に開いたといわれる
その後、空海は、金剛杵の独鈷(とっこ)で泉水を掘り下げ、加持祈祷を行い、眼病に効く霊水として広めたといわれる
江戸時代
眼の悪かった霊元天皇が、独鈷水で眼病を治癒される
それ以降、明治時代まで、歴代天皇へ献上されていた
独鈷水をくんで本堂にお供えし、奥ノ院を参拝して、再び本堂に戻り、お供えしていた水をいただくとご利益があるといわれる
<神徳水(みのりすい)>
奥ノ院に上るまでの弁天堂の近くに湧くご神水
諸病平癒、不老長寿、美人祈願の霊験があるといわれる
豊臣秀吉の側室 淀殿が、淀城におられるとき、毎日この水で顔を洗っていたといわれる
<丁石(町石)>
境内にまでの坂道の参道には石燈籠が立てられて、1町(109m)ごとに道標「丁石」が立てられている
登り口には「柳谷是より十八丁」と刻まれた地蔵菩薩がおられ、7丁まで立てられている
<弥勒谷十三仏>
境外に安置されている石仏群
江戸時代に十三仏信仰が起こり、死者の冥福と極楽浄土が祈願された
<楊谷寺文化財環境保全地区>
楊谷寺と周辺の11.4haが指定されている
<木造 十一面千手千眼観世音菩薩(京都府指定有形文化財)>
本堂の本尊
806年(皇紀1466)大同元年
清水寺の開祖 延鎮僧都(えんちんそうず)が夢告により、西山で生身の観音菩薩に遭うことができると告げられる
延鎮は、西山の山中、楊の生い茂る渓谷のこの地の岩上で、十一面千手千眼観世音菩薩を感得し、
そこに堂宇を建てて祀り、「楊谷寺」と号して開山されたといわれる
像高162cm
普段は厨子内に納められており、毎月17、18日に開帳される
平安時代の作
<胎内文書(京都府重要文化財指定)>
1997年(皇紀2657)平成9年
本尊の解体修理のときに、本尊の十一面千手千眼観世音菩薩の胎内から発見された勧進願文、奉加状など
鎌倉時代初期の1210年(皇紀1870)承元4年に納入されたものといわれる
<勝軍大地蔵菩薩>
本尊の脇侍
<勝敵毘沙門天像>
本尊の脇侍
<開山延鎮僧都>
本堂の脇壇に祀られている
<弘法大師像>
本堂東堂に安置されている
<十一面千手千眼観世音菩薩>
奥ノ院に祀られている
江戸時代
東山天皇の皇妃 新崇賢門院(四条の局)が、本尊に皇子誕生を祈祷し、後の中御門天皇を授かり出産される
新崇賢門院は、祈願成就したことで、観音菩薩の奉納を望まれていたが、死去されてしまい、
中御門天皇が、亡き母親に代わり、本尊を摸して勅刻し、奥ノ院本尊として安置したといわれる
右側には天皇の位牌が祀られている
<二十八部衆>
奥ノ院の十一面千手千眼観世音菩薩の左手に眷属の二十八部衆が祀られている
<阿弥陀堂の厨子>
豊臣秀吉の側室 淀殿の寄進によるもの
江戸時代になって、本堂より移され阿弥陀堂に移された
<絹本著色 阿弥陀如来像(京都府指定有形文化財)>
<絹本著色 紅玻璃阿弥陀像(ぐはりあみだぞう)(京都府指定有形文化財)>
<洛中洛外図屏風>
江戸時代中期の作
<特別開扉> 1月1日から3日
<大般若転読会> 1月18日
<大護摩焚き祭> 2月17日
<大般若輪読会> 5月18日
<あじさい祭> 6月下旬
<大護摩焚き祭> 8月17日
<施餓鬼会> 8月18日
<大般若輪読会> 9月18日
<大般若輪読会> 11月8日
<もみじ祭> 11月下旬
<除夜の鐘> 12月31日
<柳谷信徒勤行式>
5月17日、8月17日、11月17日の年3回
江戸時代より行われている祭事
僧侶が使用する拍子木で独特な一定のリズムを刻みながら、御詠歌を詠い百万遍念仏を唱えられる
<本尊開帳、百万遍念仏、珠数繰り>
毎月17日の御縁日
大般若転読会読経会・縁日説法・大珠数繰りなどが行われる
吉野の大峰山より山伏が招かれ、願い事を書いた人形(ひとがた)をお焚き上げされ、厄除けや招福祈願を行う
<千手寺のお香水>
千手寺にも、空海ゆかりの、霊水が湧きだしている
境内より湧き出る清水で目を洗ったり飲むことによって眼病が治るといわれている