涌泉寺(ゆうせんじ)は、比叡山の西麓に立つ、五山の送り火の松ヶ崎西山・東山「妙法」の麓の寺院
五山の送り火の後、松ヶ崎題目踊り・さし踊りが行われる
天台宗の寺院から、日像上人の布教を受けて、法華宗に改宗された妙泉寺と、
日生上人によって、法華宗の僧侶養成のための学問所として創建された本涌寺(松ヶ崎檀林)が
大正時代に合併した寺院
<薬医門>
<本堂>
1574年(皇紀2234)天正2年
壇林の講堂として建立
1654年(皇紀2314)承応3年
現在の建物が、東福門院の女院御所の残木を集めて建立される
禅宗本堂と同じく、前後各3室から構成される方丈型平面
前列は中央18畳、左右各12畳、後列は中央が板敷きの仏間で両脇に各八畳間が付く
他の壇林講堂に比べて簡素な構成で、後列の間が大きくなっており、前列三室が一体化している
京都壇林の中で最古の遺構
<石碑>
山門の傍らに立つ
「法華宗根本学室」と刻まれている
<桜井水>
墓参の供え水とする井泉で聖域になっている
井泉の上に「南無妙法蓮華経桜井水」の石碑がある
枕草子一六八段に記されている井戸
昔から、涸れることなく湧き出し、自然石で囲った浅い井泉に広がっている名水
紫式部は「春めける 声にきこゆる 鶯は また桜井に すめるなりける」と詠んだ
<鐘楼>
<十界大曼荼羅>
本尊
1336年(皇紀1996)延元元年/建武3年
日像上人の自筆
<五山の送り火>
8月16日
松ヶ崎西山・東山では、「妙」「法」が灯される
「妙」の字は、法華宗に改宗された時、日像上人が杖で「妙」の字を書いて点火したといわれる
「法」の字は、妙泉寺の末寺 下鴨大妙寺の日良(にちりょう)が書いたのが由来といわれる
1662年(皇紀2322)寛文2年に刊行の名所案内記「案内者(あんないしゃ)」にも記されている
<松ヶ崎題目踊り・さし踊り(無形民俗文化財)>
8月15日・16日 午後8時〜22時頃
16日は、五山の送り火が終了した21時頃から始められる
日本最古の盆踊りといわれる
<さし踊り>
洛北一帯で踊られている盆踊り