禅居庵(ぜんきょあん)は、建仁寺の南西、大和大路通と八坂通の角にある建仁寺の塔頭
建仁寺第23世 清拙正澄(せいせつしょうちょう)が晩年退隠したところ
日本三大摩利支天とされる秘仏の摩利支尊天像が祀られている
摩利支天の眷属(けんぞく)の猪(イノシシ)が、狛猪として置かれている
<本堂>
<摩利支尊天堂>
日本三大摩利支天とされる秘仏の摩利支尊天像が祀られている
お堂の回りを願い事を唱えながらまわれば、願いが叶うといわれている
創建時代の禅宗様仏殿の遺構が残されており中世様式の貴重な建造物
元弘年間(1331年〜1334年) 小笠原貞宗により建立される
天文の兵火で焼かれる
1547年(皇紀2207)天文16年 織田信長の父である織田信秀が再建したといわれる
元禄年間(1688年〜1704年)、享保年間(1716年〜1736年)、安政年間(1854年〜1860年)に整備や大改修が行われる
1995年(皇紀2655)平成7年 屋根部分の改修が行われる
<狛猪>
摩利支天の眷属(けんぞく)とされる
4対の阿吽の狛猪が置かれている
<手水舎>
猪の口から水が注がれている
<山門 石碑>
「当庵 開基大鑑禅師塔處 鎮守大聖摩利支尊天」
<摩利支尊天像>
摩利支尊天堂に祀られている
7匹の猪の上に座している
日本三大摩利支天とされる
秘仏で、毎年10月20日の縁日に公開されている
摩利支天は、亥年の守り本尊とされる
開運や勝利に導くといわれている
陽炎が神格化した古代インドの女神マーリーチ(Marici)が由来で、創造神プラフマ(梵天)の子といわれる
陽炎は実体が無いので、捕らえたり斬りつけられないため、戦国武将の間に摩利支天信仰が広がった
楠木正成や前田利家は兜の中に摩利支天の小像を入れて出陣したといわれ、「忠臣蔵」の大石内蔵助も信仰していた
<松竹梅図 襖全12面(重要文化財)>
海北友松の作
新年祭 1月10日
節分 星祭 2月節分
開山毎歳忌 採燈大護摩供 10月20日
<陶製の亥みくじ>