瑞光寺(ずいこうじ)は、武士だった元政上人が出家して建立した庵を、日蓮宗の法華道場としたのが由来
元政上人が、竹を好んでいたことから「竹葉庵」とも称される
<山門>
<寂音堂(じゃくおんどう)>
本堂
1661年(皇紀2321)寛文元年
仏殿として建立され、「深草山瑞光寺」と改められる
丸みを帯びた総茅葺屋根
堂内の中央に釈迦如来坐像、奥段には元政上人、御両親、歴代上人が祀られている
<三十番神社>
法華守護の三十番神と、大黒天の31体が祀られている
三十番神は、天照大御神・八幡大菩薩・伏見稲荷・松尾大明神・北野天満自在天・祇園大神など、
全国の総氏神が一堂に祀られている
もとは、旧極楽寺薬師堂に番神山として祀られていたもの
<門前の碑>
日蓮宗には珍しい「不許酒肉五辛入門」の碑がある
元政上人が、学問と詩歌三昧、父母への孝行など、規律正しい僧生活を送っていたことから
碑が立てられたといわれる
<南無白龍銭洗弁財天>
一心に祈願して、ザルの中へ銭(お金)を入れ、龍神さんのご神体の中より流れ出るお水で洗い、
浄財袋に入れて持ち帰ると、財運・金銭運の幸運を授かるといわれている
縁日の「辰の日」「未の日」には必ず参拝して、浄財袋の銭を、新しい銭と入れ替えるといわれる
<南無開運帝釈天王>
<元政上人御廟(三本竹の墓)>
現在は、JR奈良線で瑞光寺と分断され、JR奈良線の線路を潜ったところにある
1667年(皇紀2327)寛文7年
元政上人の遺命により、遺骨は瑞光寺の西隅に葬られ、脩竹を三本立てただけの簡素な墓標とされた
三本の竹の意味は、「一本は、法華経広宣流布のため」「一本は、衆生救済のため」
「一本は、両親のため」とされる
水戸光圀により、「鷲の山わけて得がたき道ぞとは、ふみみていまぞ思いしらるる」と墓標され、
「嗚呼孝子元政之墓」を贈られた
<南蛮人蒔絵交椅(重要文化財)>
<大般若経第二四六(重要文化財)>
<釈迦如来坐像>
本尊
中正院日護の作
胎内に、法華経一巻と五臓六腑を形作ったものが納められている
<元政上人御忌法華懺法会>
3月18日
<元政上人埋髪の塚>
1659年(皇紀2319)万治2年8月13日
元政上人が、母親の望みにより、身延山に登り、父親の遺骨を納めて、
奥の院の山頂に黒髪を切って埋めて、日蓮大聖人の菩提を弔らった
「いたづらに身をばやぶらで法のため わが黒髪を捨てしうれしさ」という句を残している
<縁切り寺>
開山 元政上人は、顔が良く、詩人・文人としても才能があり女性にも人気があった
元政上人は、江戸吉原の高尾太夫の死によって出家し、全ての欲と決別したことから縁切りの由来がいわれる
元政上人御廟の御廟を、歳の数だけを回り、酒・タバコ・病気・男女関係などの悪い縁を切ってもらう
駒下駄を履いて3週間毎日21日間、参拝しなければならないといわれる
21日目のお参りが済んだ後に、竹の葉を一枚頂いて男の襟に縫込むと縁が切れるといわれる