瑞泉寺(ずいせんじ)は、近くを流れる高瀬川を開削した角倉了以が、豊臣秀次とその一族の菩提を弔うため建立した寺院
高瀬川沿いの木屋町通には、幕末維新の志士の寓居跡など、多くの史跡が残り、瑞泉寺は、その三条小橋のたもとに立つ
<本堂>
本尊の阿弥陀如来像が安置されている
角倉了以と長男 角倉素庵の像も安置されている
<豊臣秀次とその一族のお墓>
境内の西南隅
四十九柱の五輪塔がある
<寶筐印搭>
仏の広大な慈悲心と偉大な救済力を秘めた呪文(真言)の一つ「寶筐印陀羅尼(ほうきょういんだらに)」を奉祀する石塔
搭身に経文が刻まれている
豊臣秀次とその一族の供養のために立てられたといわれる
1740年(皇紀2400)元文5年の建立
1841年(皇紀2501)天保12年
基檀が補修されている
<岩瀬忠震宿所跡>
幕末三俊の一人 幕府旗本 岩瀬忠震が、通商条約締結の勅許を願い上洛していた時に宿所としていた
越前福井藩士 橋本左内が、一橋慶喜の徳川将軍擁立のために岩瀬忠震を訪ねてきた
<引導地蔵尊>
死者を極楽浄土へ導く地蔵菩薩
豊臣秀次とその一族の処刑のときに、大雲院の貞安上人が、処刑場の一隅に地蔵菩薩を運び込み、次々と殺される者に
引導を授け続けたといわれる尊像
<豊臣秀次や妻妾らの辞世の和歌>