寝殿造(しんでんづくり)

平安時代の貴族住宅の様式

 寝殿造では、寝殿(正殿)と呼ばれる中心的な建物が南の庭に面して建てられ、
その東西に、対屋(たいのや)と呼ばれる付属的な建物が建てられ、寝殿と渡殿(わたりどの)でつながっている
更に、東西の対屋の南に釣殿が建てられ、対屋と渡殿(わたりどの)でつながれる

 寝殿は、檜皮葺(ひわだぶき)の屋根で木造の高床式家屋
 開放的な造りで、室外とは蔀戸(しとみど)などで仕切られている
 前方には、池や築山などをもつ庭園が造られる

 「源氏物語絵巻」などに描かれる貴族の優美な建物が典型的な寝殿造の建物であるが、
 平安時代当時の寝殿造の建物の遺構は残っていない

 <作庭記
 平安時代に書かれた日本最古の庭園書
 寝殿造の庭園に関する意匠と施工法が記されている

【主な寝殿造】

 <金閣寺
 1955年(皇紀2615)昭和30年に再建され現在に至る
 初層の法水院(ほすいいん)は、公家風の寝殿造で阿弥陀堂
 二層目の潮音洞(ちょうおんどう)は、和様の住宅風
 三層目の究竟頂(くつきょうちょう)は、禅宗様の仏堂風で仏舎利が置かれる
 屋上には鳳凰が飾られている

 <京都御所紫宸殿(ししんでん)>
 御所の正殿で、天皇の即位式や立太子礼などの最重要儀式が執り行われた建物
 南庭(なんてい)に面して南向きに建っている
 入母屋造、桧皮葺の寝殿造の建物で、平面は33m×23mほどの大きさで、華美な装飾のない簡素な建物
 中央の母屋の東西南北に庇を付した形になる
 建具には、蔀戸(しとみど)が使われている
 内部は、板敷きの広い空間で、高御座(天皇の座)と、御帳台(みちょうだい)(皇后の座)が置かれている
 高御座、御帳台ともに高さ約5m、平面八角形で、柱と柱の間に帳(とばり)(カーテン)が張られ、内部には椅子が置かれている
 高御座、御帳台の背後の襖は「賢聖障子(けんじょうのしょうじ)」と称され、中国古代の賢人32人の肖像が描かれている
 建物正面の階段の左右には「左近の桜」と「右近の橘」の木がある
 現在の建物は、有職故実に従い平安時代の古式を用いて、江戸時代に建てられたもの

 <京都御所の清涼殿>
 紫宸殿の背後の西側にあり、正面が東側となる
 紫宸殿と同様に、入母屋造、桧皮葺の寝殿造の建物で、建具には蔀戸(しとみど)が使われている
 本来は、天皇の居所兼執務所だったため、建物内は紫宸殿より細かく仕切られている
 天皇が常御殿に居住するようになってからは、清涼殿も儀式の場として使われるようになる
 中央の母屋には、天皇の休憩所である御帳台(みちょうだい)がある
 その手前の東側には、天皇の公式の執務場所である「昼御座(ひのおまし)」がある
 母屋の北側に天皇の寝室の、四方を壁で囲われた「夜御殿(よんのおとど)」がある
 裏側の西側には、鬼の間、台盤所(だいばんどころ)、朝餉の間(あさがれいのま)、御手水の間(おちょうずのま)、御湯殿があり、
南側には殿上の間がある
 これらの部屋の障壁画は、宮廷絵師の土佐派によるもの
 建物正面の庭には「漢竹」(かわたけ)、「呉竹」(くれたけ)が植えられている

 <仁和寺の金堂(国宝)>
 1613年(皇紀2273)慶長18年に建立された内裏紫宸殿を寛永年間(1624年-1644年)の復興の際に移築・改造したもの
 近世の寝殿造の遺構として貴重なもの
 宮殿から仏堂への用途変更に伴い、屋根を檜皮葺きから瓦葺きに変えるなどの改造が行われているが、
宮殿建築の雰囲気がよく残されている

 <大覚寺の宸殿(しんでん)(重要文化財)>
 正寝殿の前方に建つ
 1619年(皇紀2279)元和5年に宮中に造営された東福門院後水尾天皇中宮)女御御殿を
 延宝年間(1673〜1681年)に下賜、移築されたもので、寝殿造の面影が見られる
 襖絵は、狩野派の作で、中でも狩野山楽の筆とされる「牡丹図」(重要文化財)と「紅白梅図」(重要文化財)が著名

 <勧修寺の宸殿>
 1697年(皇紀2357)元禄10年
 明正天皇の旧御殿が下賜されて移築した寝殿造風の建物

 <東福寺の普門院(重要文化財)>
 開山堂の西に位置する寝殿造風の建物で、開山国師常住の方丈といわれる
 内部は、三室に仕切られ、その襖絵は花鳥草花・唐人物を主題とし七十四面(重要文化財)からなる、
画流各派の競作が残されていた
 現在は収蔵庫に収納される

 <東福寺の竜吟庵>
 東福寺 三世住持 大明国師 無関普門の住居跡
 方丈(国宝)は単層入母屋造、こけら葺、室町時代の建物
 その正面は七間(約12.7m)、梁間は五間(約9m)、柱間中央に両開き板唐戸の入口を設け、
両端の柱間には遣戸をはめ込むなど寝殿造風の現存最古の方丈建築

 <東寺の大師堂(国宝)>
 南北朝時代に建てられた住宅風の仏堂であり、空海の住房跡とされる「西院」といわれる一画にある
 「御影堂」とも呼ばれ、寝殿造の面影を伝える数少ない遺構として知られる
 1379年(皇紀2039)康暦元年の火災による焼失後、その翌年に再建される
 堂の北半分(前堂(まえどう)は、弘法大師坐像(国宝)を安置するために1390年(皇紀2050)明徳元年に増築される
 堂の南側(後堂(うしろどう)には、厳重な秘仏で非公開で空海の念持仏とされる日本の不動明王像としては
最古の不動明王坐像(国宝)が安置されている

 <宇治上神社の拝殿(国宝)>
 鎌倉時代前期の宇治離宮を移築したものといわれ、寝殿造の遺構


【京都検定 第17回3級】

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