寝殿造では十分でなかった部屋の間仕切りが発達し、
引き違いの建具(襖)によって分けられた畳を敷き詰めた室(座敷)が並ぶ
室の床には高低差が付けられ、一段高い主室を上段、低い室を下段と称され、階級差が明確に示されるようになる
主室には、書院、押板、棚、納戸構(帳台構・武者隠し)が設けられる
書院は、書を読むために、畳を敷いた二畳程度の広さに、造り付けの机を置き、
正面には南に向けて明かりを採る窓「書院窓」が作られ、傍らには書物や硯を置く棚が設けられた
後に、書院は、物飾りのスペースであった押板と一体化して「床の間」となる
床の間の脇には、2枚の棚板を左右に食い違いに段々取り付けられた「違い棚」が設けられ、盃、肩衝、香炉などが飾られた
座敷から外に張り出した部分が設けられ、座り机ほどの高さに棚板を取り付けて、
その前面に明かり障子を作った「付書院」が設けられる
付書院の棚には、硯(すずり)・筆・文鎮などの文房具が飾られた
連なった室の南側には、畳を敷いた廊下である「入り側」が設けられ、
さらにその外側には濡れ縁である「落ち縁」が設けられた
<銀閣寺の銀閣(国宝)>
かつて山荘東山殿の池庭に点在した建物の一つの観音殿
現存する東山殿の遺構で貴重なもの
初層の心空殿(しんくうでん)は、和様の住宅風
上層の潮音閣(ちょうおんかく)は、観音菩薩を安置する禅宗様仏堂
書院造が取り込まれており、東山文化の代表的建築物
庭には多くの名石、名木が配され、建材にも贅を尽くされている
<銀閣寺の東求堂(国宝)>
1486年(皇紀2146)文明18年の建立
現存する東山殿の遺構で、足利義政時代は、阿弥陀三尊を本尊とする持仏堂だった
書院造の初期形態として貴重なもの
右奥の東北の四畳半の室は、同仁斎(どうじんさい)と称する足利義政の書斎
北側の付書院(つけしょいん)と違い棚(ちがいだな)は、座敷飾として、現存最古の遺例
<西本願寺の書院(国宝)>
1630年(皇紀2290)寛永7年頃に建立
南側の対面所と、背後の白書院からなる代表的な書院造
対面所は、渡辺了慶の筆とされる障壁画で飾られ、欄間に鴻の彫物があることから「鴻の間」とも称される
白書院は、三室からなり、門主との公的な対面の間
対面所、白書院とも畳を一部上げることで、能舞台に転化できる
<二条城の二の丸書院>
<修学院離宮の客殿>
1677年(皇紀2337)延宝5年に造営された東福門院(後水尾天皇女御、2代将軍 徳川秀忠の娘)の女院御所の奥対面所を
1682年(皇紀2342)天和2年に移築したもの
客殿一ノ間の霞棚は、桂離宮の桂棚、醍醐寺の塔頭の三宝院の醍醐棚とともに「天下三棚」の一つ
<桂離宮>
江戸時代初期の造営当初の庭園と建築物を遺しており、当時の文化の粋を今に伝えている
回遊式の庭園は日本庭園の傑作とされる
書院は書院造を基調に数寄屋造が採り入れられた代表事例
<龍光院の茶室 密庵(国宝)>
小堀遠州の作といわれる
床、付書院、違い棚、張付壁があり書院造様式
密庵床
密庵禅師の墨蹟を掛けるために造られたといわれる書院床(付書院がある床)
<醍醐寺の頭塔 三宝院表書院(国宝)>
桃山時代の書院造りの遺構として知られる
<大覚寺の正寝殿(せいしょうでん)(客殿)(重要文化財)>
桃山時代の書院造建築
主室である「御冠の間」の帳台構の框(ちょうだいがまえのかまち)は、「嵯峨蒔絵」として著名
障壁画は狩野山楽、狩野探幽らの作である
「狭屋の間(さやのま)」の明り障子の腰板に描かれた「野兎図」は、いろいろなポーズの兎が描かれた愛らしい動物画
<勧修寺の書院(重要文化財)>
江戸時代初期の書院造の典型的な建物
明正天皇の旧御殿が下賜されて移築したもの
土佐光起の作とされる襖絵「竜田ノ紅葉図」「近江八景図」がある
<東福寺の竜吟庵>
東福寺 三世住持 大明国師 無関普門の住居跡
方丈(国宝)は単層入母屋造、こけら葺、室町時代の建物
その正面は七間(約12.7m)、梁間は五間(約9m)、柱間中央に両開き板唐戸の入口を設け、
両端の柱間には遣戸をはめ込むなど書院造に寝殿造風の現存最古の方丈建築
<伏見稲荷大社の御茶屋(おちゃや)(重要文化財)>
後水尾院から下賜されたものといわれる
二部屋からなり、書院造から数寄屋造へ移る遺構の建物で貴重
貴族好みのお茶屋の代表例