<本殿(国宝)>
1634年(皇紀2294)寛永11年
現在の社殿が、三代将軍 徳川家光によって造営される
<廻廊3棟(国宝)>
楼門−東門間、楼門ー西門間、背面に廻廊が設けられている
<廻廊の東門(国宝)>
<廻廊の西門(国宝)>
<瑞籬(みずがき)(国宝)>
<幣殿(国宝)>
<舞殿(国宝)>
<楼門(国宝)>
<摂社 武内社(国宝)>
<本殿(国宝)>
平安時代後期(1060年頃)に建立されたもので、現存する最古の神社建築の遺構
<拝殿(国宝)>
鎌倉時代前期の宇治離宮を移築したものといわれ、寝殿造の遺構
<根本中堂(国宝)>
東塔にあり、最澄が建立した一乗止観院の後身で、全山の総本堂である
現在の建物は、織田信長による焼き討ちの後、1642年(皇紀2302)寛永19年に徳川家康によって再建されたもの
正面をコの字に取り囲む回廊(重要文化財)も、同時期に建設される
<五重塔(国宝)>
裳階付、高さ17.1m、初重総間2.7m
鎌倉時代 1214年(皇紀1874)建保2年の建立
屋外にある木造五重塔で国宝・重要文化財に指定されているものとしては、室生寺五重塔に次いで日本で二番目に小さいもの
裳階(もこし)をもつ五重塔は、海住山寺以外では斑鳩の法隆寺に存在するだけの貴重なもの
<本殿(国宝)、権殿(国宝)>
1863年(皇紀2523)文久3年の再建
<客殿(国宝)>
床の間には、宮本武蔵作の「鷲の図」や、襖絵「竹林図」がある
慶長11年(1606年)の建立
<本殿と石の間、拝殿、楽の間(国宝)>
いずれも八ツ棟造の代表事例
<本堂(国宝)>
1633年(皇紀2293)寛永10年、徳川家光の寄進によりに再建される
「清水の舞台」として著名
「懸造」「舞台造」と称される構造で、崖の上にせり出た檜板張りの舞台があり、高さ13mの欅の柱139本で支えられている
観音菩薩が補陀洛山(ふだらくさん)に現われるという「観音経」に基づいた造りといわれる
<銀閣(国宝)>
かつて山荘東山殿の池庭に点在した建物の遺構で貴重なもの
正式名称:東山山荘観音殿
足利義政の祖父である3代将軍 足利義満が創建した金閣と対比されて称される
重層方形造で、平面的には長方形で正面8.2m、奥行7.0m、東向きの二層の楼閣
<東求堂(国宝)>
1486年(皇紀2146)文明18年の建立
現存する東山殿の遺構で、足利義政時代は、阿弥陀三尊を本尊とする持仏堂だった
書院造の初期形態として貴重なもの
右奥の東北の四畳半の室は、同仁斎(どうじんさい)と称する足利義政の書斎
北側の付書院(つけしょいん)と違い棚(ちがいだな)は、座敷飾として、現存最古の遺例
<石水院(国宝)>
鎌倉時代の建築で、入母屋造、柿葺き
後鳥羽上皇の学問所を下賜されたものといわれ、明恵上人の庵ともいわれる
<桂宮院本堂(国宝)>
境内の西側、塀で囲まれた一画にあり、聖徳太子の像を祀る堂
法隆寺夢殿と同じ八角円堂であるが、建築様式的には純和様で檜皮葺きの軽快な堂である
<蓮華王院本堂(国宝)>
母屋正面の柱間の数が三十三ある南北約125mの長い建物
入母屋造、本瓦葺の総檜造
現在の建物は、1266年(皇紀1926)文永3年の再建
<表書院(国宝)>
桃山時代の書院造の代表的な遺構
庭園に面して、大玄関と純浄観の間に建つ
縁側に勾欄をめぐらし、西南隅に泉殿が作りつけてあり、平安時代の寝殿造りの様式の建物
<唐門(からもん)(国宝)>
門跡寺院として勅使を迎える時だけに扉を開いたといわれる勅使門
桃山時代の大胆な意匠の遺構
門全体が黒の漆塗り、門扉に、菊と桐の4つの大きな紋が彫られ、金箔が施されていた
<東本殿(国宝)、西本殿(国宝)>
江戸時代幕末 1863年(皇紀2523)文久3年の遷宮で建て替えられた
三間社の流造の古来の様式を継承している
<本堂(国宝)>
1107年(皇紀1767)嘉承2年の建立
9体の阿弥陀如来像が横一列に安置されていて、横に細長い堂である
平安後期に建てられた九体阿弥陀堂は、藤原道長の造営した法成寺無量寿院をはじめ、
記録に残るだけで約30棟あったとされるが、現存するものはこの浄瑠璃寺本堂のみであり貴重なもの
<三重塔(国宝)>
1178年(皇紀1838)治承2年に京都の一条大宮から移築されたものといわれるが、不明確
<薬師堂(国宝)>
1124年(皇紀1784)保安5年の再建
上醍醐に現存する最古の建物で平安時代のままに残る
<清滝宮拝殿(せいりゅうぐうはいでん)(国宝)>
1434年(皇紀2094)永享6年にの再建
清滝宮は、弘法大師 空海が、唐 長安の青龍寺から勧請した密教の守護神を祀った醍醐寺の鎮守社
<五重塔(国宝)>
下醍醐にある、総高約38mの遺構
951年(皇紀1611)天暦5年に、朱雀天皇が、醍醐天皇の冥福を祈るために建立
京都府に現存する最古の木造建築物
五重塔内部に描かれた壁画(国宝)の中に描かれている空海の肖像画は、空海が描かれた現存する最古のもの
<金堂(国宝)>
下醍醐にある醍醐寺の本堂
平安時代後期に建築されたもの
1600年(皇紀2260)慶長5年に、豊臣秀吉の発願により、紀州湯浅(和歌山県)の満願寺の本堂を移築したものといわれる
大徳寺の塔頭
<方丈(本堂)(国宝)>
1509年(皇紀2169)永正6年の造営
日本最古の方丈建築で、住宅建築の大きな転換時期の遺構として大変貴重なものとされる
大徳寺山内で最古の建物でもある
<御影堂(みえいどう)(本堂)(国宝)>
1639年(皇紀2299)寛永16年に、3代将軍 徳川家光により再建されたもの
間口44.8m、奥行34.5mの壮大な建築
外観は、保守的な和様を基調としつつ、内部には唐様(禅宗様)の要素が取り入れられている
近世の本格的かつ大規模な仏教建築の代表例
<三門(国宝)>
1621年(皇紀2281)元和7年に、徳川秀忠によって建てられる
高さ24m、横幅50m、屋根瓦約7万枚で、現存する寺院の三門(山門)としては日本最大のもの
日本三大門の一つ
<金堂(国宝)>
現存の建物は1603年(皇紀2263)慶長8年に豊臣秀頼の寄進で再建されたもの
<五重塔(国宝)>
現在の京都のシンボルとなっている塔
基壇礎石上から最高部の相輪頂(そうりんちょう)まで総高54.8mで木造塔としては日本一の高さを誇る
何度かの焼亡再建を繰り返し、現在の塔は5代目で、徳川家光の寄進で1643年(皇紀2303)寛永21年に上棟される
<大師堂(国宝)>
南北朝時代に建てられた住宅風の仏堂であり、空海の住房跡とされる「西院」といわれる一画にある
「御影堂」とも呼ばれ、寝殿造の面影を伝える数少ない遺構として知られる
1379年(皇紀2039)康暦元年の火災による焼失後、その翌年に再建される
<蓮花門(国宝)>
鎌倉前期の遺構
<三門(国宝)>
大仏様(天竺様)、禅宗様(唐様)、和様をたくみに組み合わせた建築様式
1425年(皇紀2085)応永32年に再建されたもの
現存する禅寺の三門としては、日本最古のもの
<書院(国宝)>
1630年(皇紀2290)寛永7年頃に建立
南側の対面所と、背後の白書院からなる
対面所、白書院とも畳を一部上げることで、能舞台に転化できる
<黒書院(国宝)と伝廊(伝廊)(国宝)>
門主の執務室所
ともに1657年(皇紀2317)明暦3年の造営
<飛雲閣(国宝)>
境内東南隅に位置する滴翠園(てきすいえん)内にある
聚楽第の遺構といわれ、桃山様式の建築
滄浪池(そうろうち)を臨む三層の楼閣
金閣、銀閣とともに「京都の三閣」と称される
<唐門(国宝)>
桃山様式の建築
1618年(皇紀2278)元和4年に、元御影堂門だったものを現在地に移築して、彫刻を飾るなど改造される
通称「日暮門(ひぐらしもん)」と称され、伏見城の遺構といわれる
<北能舞台(国宝)>
1581年(皇紀2241)天正9年の造営
現在最古の能舞台で、白書院の北方の庭に建つ
<御影堂(ごえいどう)(国宝)>
1636年(皇紀2296)寛永13年に建立
東西48m、南北62m、高さ29m
「大師堂」とも称される
<阿弥陀堂(あみだどう)(国宝)>
御影堂の北に建つ本堂で、本尊の阿弥陀如来立像が安置されている
単層、入母屋造、本瓦葺、高さ25m、東西42m、南北45m
御影堂とともに江戸時代の真宗伽藍の典型的な建物
<二の丸御殿 6棟(国宝)>
桃山時代の武家屋敷風書院造の代表的な遺構
1624年(皇紀2284)寛永元年から、徳川家光のための大改造が行われる
・御車寄(おくるまよせ)、遠侍(とおざむらい)
・式台(しきだい)
・大広間
・蘇鉄之間
・黒書院(くろしょいん)(小広間)
・白書院(しろしょいん)(御座の間)(附 附属の間、黒書院白書院間渡廊)
6つの建物が、東南から西北にかけて斜めにずれたように雁行(がんこう)して建ち、廊下で結ばれて一体となっている
各部屋には、狩野探幽・狩野尚信・狩野興以による障壁画や襖絵が部屋の目的によって描かれ、絢爛豪華である
欄間の彫刻や、飾金具、長押(なげし)に打たれた花熨斗形(はなのしがた)の釘隠しなど、あざやかな金飾がほどこされている
廊下は、床板を踏むと音がする「うぐいす張り」になっている
<金堂(国宝)>
1613年(皇紀2273)慶長18年に建立された皇居(京都御所)の紫宸殿を寛永年間(1624年-1644年)の復興の際に移築・改造したもの
近世の寝殿造の遺構として貴重なもの
宮殿から仏堂への用途変更に伴い、屋根を檜皮葺きから瓦葺きに変えるなどの改造が行われているが、
宮殿建築の雰囲気がよく残されている
鳳凰堂、中堂、左右の翼廊、中堂背後の尾廊の計4棟が「平等院鳳凰堂」として国宝に指定されている
<鳳凰堂(国宝)>
1053年(皇紀1713)天喜元年の建立
浄土庭園の池の中島に東向きに建つ
阿弥陀堂の代表的な遺構
鳳凰堂(国宝)は、十円硬貨のデザインになっている
中堂の屋根上の金銅鳳凰(国宝)は、一万円札の図柄に採用されている
<中堂(ちゅうどう)(国宝)>
東側正面中央の扉を開放すると、建物の外からでも本尊阿弥陀如来のお顔が拝めるようになっている
阿弥陀如来の住する極楽浄土が西方にあると信じられており、
池の東岸(あるいは寺の前を流れる宇治川の東岸)から、向かい岸(彼岸)の阿弥陀像を拝するように意図されていたといわれる
中堂の屋根上には、1対の鳳凰像が据えられている
<阿弥陀堂(国宝)>
鎌倉時代 1226年(皇紀1886)嘉禄2年の創建
方五間(正面、背面、両側面の柱間の数がいずれも5間)の堂の周囲に1間の裳階(もこし)が巡らされている
屋根は、宝形造で檜皮葺き、内陣の柱や長押上の小壁に、創建当時の絵画が残っている
<大雄宝殿(だいおうほうでん)(本堂)(国宝)>
三間三間、本瓦葺、正面・側面とも22mあり、境内最大の建物
歇山重檐式(二重重ね入母屋造)、重層ではなく下の屋根は裳階付き、正面一間は吹き放し
全て西域木(鉄梨木、チーク材)が用いられている
1668年(皇紀2328)寛文8年 豪商 勝性印居士や徳川幕府の寄進により完成
2024年(皇紀2684)令和6年 国宝に指定される
<法堂(はっとう)(国宝)>
一重入母屋造、棧瓦葺、5間6間、正面1間通は吹き放し
1662年(皇紀2322)寛文2年に「円通殿」として建立される
2024年(皇紀2684)令和6年 国宝に指定される
<天王殿(国宝)>
一重入母屋造、本瓦葺、五間三間で正面一間通りは吹き放し
黄檗宗の寺院にしか見られないもので、珍しく本堂の手前に建てられている
1668年(皇紀2328)寛文8年の完成
2024年(皇紀2684)令和6年 国宝に指定される
<茶室 待庵(国宝)>
1582年(皇紀2242)天正10年
第三世の功叔士紡(こうしゅくしぼう)が茶人であったことから、千利休がよくこの妙喜庵を訪れていた
羽柴秀吉(豊臣秀吉)が明智光秀を討つために構えた山崎の地の陣中に、千利休を招いて二畳隅炉の茶室 待庵)を作らせた
その後に、解体されて妙喜庵に移されたといわれる
待庵は、わが国最古の茶室建造物で、千利休の現存する遺構として唯一の茶室
<庫裏(国宝)>
庫裏は寺院の台所兼事務所の役割を果たす建物で、豊臣秀吉が行った千僧供養に集まった千人もの僧の食事を準備した台所
内部は土間、板間、座敷の3部分に分かれ、土間と板間部分は天井板を張らず貫や梁などの構造材を
そのまま見せた豪快な造りになっている
近世の庫裏は、居住機能も持つが、妙法院の庫裏は、調采喫飯(ちょうさいきっぱん)の場として限定されている
桃山時代の豪華な建物の遺構
<方丈 (国宝)>
室町時代初期 1387年(皇紀2047)元中4年/嘉慶元年の創建
現存する方丈としては最古の客殿の遺構
正面は七間(約12.7m)、梁間は五間(約9m)
<書院(国宝)>
四畳半台目茶室 密庵席(みったんせき)
江戸時代前期の寛永年間(1624年〜1644年)の創建
小堀遠州の作といわれる
床、付書院、違い棚、張付壁があり、書院造様式