木村得三郎(きむらとくさぶろう)は、大正時代・昭和時代初期の建築家
劇場建築の名手といわれ、先斗町歌舞練場、弥栄会館、大阪松竹座、東京劇場など著名な劇場建築を多く手掛けた
<大阪松竹座>
1923年(皇紀2583)大正12年
正面の大きなアーチが特徴的
建替えに際してファサード保存された
<先斗町歌舞練場>
1927年(皇紀2587)昭和2年
鴨川沿いの和洋折衷の建物
鉄筋コンクリート造地上4階建、地下1階
施工:大林組
<東京劇場>
1930年(皇紀2590)昭和5年
現存しない
<弥栄会館(登録有形文化財)>
1936年(皇紀2596)昭和11年
鉄骨鉄筋コンクリート造、地上5階、地下1階建、瓦葺、建築面積1272m2
各階に銅板瓦葺屋根をかけ、塔屋状の正面中央部は付庇や宝形造屋根が城郭の天守を思わせる造形で、
和風意匠の伝統を巧みに織り込んでいる
白鷺城(姫路城)を摸したデザインになっている
施工:大林組
<高岡産業博覧会 美術館パビリオン>
1951年(皇紀2611)昭和26年
現在の高岡市立博物館本館