本野精吾(もとのせいご)

大正時代から昭和時代初期にかけて京都を中心に活躍した建築家

生年:1882年(皇紀2542)明治15年9月30日
没年:1944年(皇紀2604)昭和19年8月26日
享年:63

 本野精吾(もとのせいご)は、大正時代から昭和時代初期にかけて京都を中心に活躍した建築家

 日本におけるモダニズム建築の先駆者の一人

 家具や舞台・船室の設計など幅広い仕事を手がけ、エスペラント語の普及に努めた

【本野精吾の経緯】

【本野精吾の主な作品】

 モダニズムの理念と方法を貫き、常に実験的だったといわれる

 <西陣織物館
 1914年(皇紀2574)大正3年
 現在の京都市考古資料館
 日本におけるモダニズム建築の先駆とされる

 <本野精吾自邸(北区)>
 1924年(皇紀2584)大正13年
 中村鎮式コンクリートブロック造
 理念と形態の両面を追求した、日本最初のモダニズム建築

 <旧鶴巻邸(山科区)>
 1929年(皇紀2589)昭和4年
 京都高等工芸学校校長 鶴巻鶴一邸として建てられた
 中村鎮式コンクリートブロック造
 現在の栗原眞純邸(国の登録有形文化財)

 <京都高等工芸学校本館>
 1930年(皇紀2590)昭和5年
 現在の京都工芸繊維大学3号館(国の登録有形文化財)

 <橘丸>
 客船の船内装飾

【その他】

 インテリアや家具・食器・工芸・グラフィック・舞台・衣装・船体デザインなども行う

 <プレスアルト研究会>
 広告の研究団体を設立し中心的役割も担った

 <エスペラント語>
 国際共通語のエスペラント語の普及に努めた


【京都検定 第12回1級】

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