本野精吾(もとのせいご)は、大正時代から昭和時代初期にかけて京都を中心に活躍した建築家
日本におけるモダニズム建築の先駆者の一人
家具や舞台・船室の設計など幅広い仕事を手がけ、エスペラント語の普及に努めた
モダニズムの理念と方法を貫き、常に実験的だったといわれる
<西陣織物館>
1914年(皇紀2574)大正3年
現在の京都市考古資料館
日本におけるモダニズム建築の先駆とされる
<本野精吾自邸(北区)>
1924年(皇紀2584)大正13年
中村鎮式コンクリートブロック造
理念と形態の両面を追求した、日本最初のモダニズム建築
<旧鶴巻邸(山科区)>
1929年(皇紀2589)昭和4年
京都高等工芸学校校長 鶴巻鶴一邸として建てられた
中村鎮式コンクリートブロック造
現在の栗原眞純邸(国の登録有形文化財)
<京都高等工芸学校本館>
1930年(皇紀2590)昭和5年
現在の京都工芸繊維大学3号館(国の登録有形文化財)
<橘丸>
客船の船内装飾
インテリアや家具・食器・工芸・グラフィック・舞台・衣装・船体デザインなども行う
<プレスアルト研究会>
広告の研究団体を設立し中心的役割も担った
<エスペラント語>
国際共通語のエスペラント語の普及に努めた