中井正清(なかいまさきよ)は、江戸幕府の初代京都大工頭(だいくがしら)
徳川家康に仕え、幕府の工事を手がけ、伏見城・二条城・江戸城・駿府城などの造営に携わった
京大工頭として、畿内・近江6カ国の大工・大鋸を支配した中井家の初代
江戸幕府の初代京都大工頭(だいくがしら)
<携わった建物>
伏見城本丸 1602年(皇紀2262)慶長7年
二条城 1606年(皇紀2266)慶長11年
江戸城 1607年(皇紀2267)慶長12年
駿府城 1608年(皇紀2268)慶長13年
名古屋城 1612年(皇紀2272)慶長17年
内裏 1613年(皇紀2273)慶長18年
方広寺大仏殿 1614年(皇紀2274)慶長19年
知恩院、久能山東照宮、増上寺、日光東照宮、江戸の町割りなど
配下に組織した法隆寺大工を中核とする棟梁衆の技術と、6カ国内に配置した大工組や大鋸組の動員力により
大規模な建築を次々に完成させた
<大名に匹敵する従四位下>
大工としては異例の出世であり、
醍醐寺座主の義演が「大御所(家康)に御気色よき者なり、比類なき故なり、先代未聞か」と驚く
徳川家康に重用されたのは、大工としての業績に加えて、側近として政治的に重要な役割を果たしたことによるといわれる
<大坂城の絵図>
大坂の陣の直前に、徳川家康の密命により作成されたという
<中井家2代 中井正侶>
1600年(皇紀2260)慶長5年 - 1631年(皇紀2291)寛永8年
中井正清の子
大坂城天守閣、寛永度二条城などを造営
<中井正純>
中井正清の弟、中井家3代 正知の後見
寛永度内裏、石清水八幡宮本殿、延暦寺根本中堂、仁和寺五重塔、東寺五重塔などを造営
<中井家3代 中井正知>
中井正純の子で、中井正侶の養子
承応度、寛文度、延宝度と内裏を3度造営
<巨勢卓軒>
中井正純の子、中井正清の孫