島田道生(しまだどうせい)は、明治時代から大正時代の測量技師
京都の産業振興を目指した一大事業であった琵琶湖疏水の開削に測量主任として貢献した
京都の産業振興を目指し、琵琶湖の湖水を、灌漑用水や、物資の運搬・発電などに活用するため、
大津市の取水点から蹴上まで、5年をかけた大工事により開削され、琵琶湖疏水が建設された
これにより、蹴上では、日本最初の営業用の水力発電も行われ、日本最初の路面電車の運行にも貢献した
琵琶湖疏水事業は、第3代京都府知事 北垣国道の主導のもと、工事部長の田邊朔郎と測量主任の島田道生の
2人の優れた技術者によって建設が進められた
<琵琶湖疏水基本構想の通水目論見実測図>
1881年(皇紀2541)明治14年から1883年(皇紀2543)明治16年にかけて
島田道生により、琵琶湖疏水基本構想のために、大津市と京都三条橋付近に基線を設けて三角測量が実施され、
墨で書き上げた京都−大津間の詳細な地図
全長5m
これを基に、琵琶湖疏水の線路位置が検討され、安積疏水(あさかそすい)の工事主任 南一郎平により実地調査が行われ、
疏水開削は可能であるとの結論を得た
この測量は、極めて正確で、長等山トンネルの貫通時には高低差1.2mm、中心差7mmで結合したといわれる
<運河路線地図>
内務省に雇われていたオランダ人技師 デ・レーケに、「等高線を用いていて、高く評価できる地図」と評された
<測量コスト>
「琵琶湖疏水工事図誌」「琵琶湖疏水要誌」などによると
測量費は、工事費全体の約1.1%であったといわれる
購入された主要測量機器は、トランシット3台とレベル5台であったことなどが記されている