田邊朔郎(たなべさくろう)(Tanabe Sakurou)

田邊朔郎(たなべさくろう)は、土木工学者

生年:1861年(皇紀2521)文久元年12月2日
没年:1944年(皇紀2604)昭和19年
享年:84(満82歳)

生まれ:江戸

工学博士

尊称:水運の父

 田邊朔郎(たなべさくろう)は、琵琶湖疏水蹴上発電所の工事に携わった土木工学者

 琵琶湖疏水工事は、日本人が中心になって建設された最初の近代土木事業

 蹴上発電所は、日本最初の水力発電施設

 角倉了以とともに「水運の父」と称される

【田邊朔郎の歴史・経緯】



【ゆかりの地】

 <田邊朔郎立像
 蹴上疏水公園
 1957年(皇紀2617)昭和32年11月
 市民の寄付により建立される
 28歳でアメリカ合衆国に調査のために旅立った際の姿を表している


 <田辺朔郎紀功碑
 蹴上疏水公園
 「工學博士 田邊朔郎君 紀功碑」と刻まれている
 碑文は山本竟山の書
 礎石の中に、石の唐櫃を設けられて、疏水工事などの資料を銅管内に封入して収められている
 1923年(皇紀2583)大正12年7月19日
 田邊朔郎の還暦を記念し、その功績をたたえるために、賀茂川高野川の合流地点の出町剣先に建てられる
 1941年(皇紀2601)昭和16年
 現在の地の蹴上疏水公園に移される
 1982年(皇紀2642)昭和57年
 この碑の北隣に、田辺朔郎の銅像が建立された


 <インクライン上の船溜の第一疏水殉職者慰霊碑>
 「一身殉事 萬戸霑恩(いっしんことにじゅんずるは ばんこおんにうるおし)」の碑
 田邊朔郎の自筆
 1902年(皇紀2562)明治35年
 田邊朔郎が、工事で殉職した17名のために私費で建立した


 <真如堂石灯籠>
 元三大師堂の前にある石灯籠
 1905年(皇紀2565)明治38年
 琵琶湖疏水工事の総責任者 田邊朔郎への感謝の意を込めて、地元北白川の人たちにより贈られたもの


 <京都−宮津車道開削>
 1881年(皇紀2541)明治14年5月24日
 京都府議会は、京都と宮津を結ぶ車道の開削について可決、11月より着工
 1889年(皇紀2549)明治22年8月完成
 山陰街道を北上し、福知山市河守から志高・久川・由良・長尾峠・宮津へと通じる
 京都と日本海を結ぶ大動脈として、物資の流通、軍港建設の資材運搬に貢献する
 田邊朔郎も携わっていたといわれる


【京都検定 第4回3級】

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