森鴎外(もりおうがい)は、明治時代・大正時代の陸軍軍医、官僚、小説家、評論家、翻訳家、劇作家
陸軍軍医のかたわら多彩な文学活動を行い、夏目漱石と並ぶ文豪といわれる
<舞姫(まいひめ)>
1890年(皇紀2550)明治23年1月、「国民之友」
<ヰタ・セクスアリス>
1909年(皇紀2569)明治42年7月、「スバル」
<雁(がん)>
1911年(皇紀2571)明治44年9月−1913年(皇紀2573)大正2年5月、「スバル」
<阿部一族(あべいちぞく)>
1913年(皇紀2573)大正2年1月、「中央公論」
<山椒大夫>
1915年(皇紀2575)大正4年1月、「中央公論」
丹後が舞台となっている
「宮崎が舟は廻り廻って、丹後の由良(ゆら)の港に来た。ここには石浦というところに大きい邸を構えて、
田畑に米麦を植えさせ、山では猟をさせ、海では漁をさせ、蚕飼をさせ、機織をさせ、金物、陶物、木の器、
何から何まで、それぞれの職人を使って造らせる山椒大夫という分限者がいて、人なら幾らでも買う。・・・・」
<高瀬舟>
1916年(皇紀2576)大正5年1月、「中央公論」
高瀬川が舞台となる
<寒山拾得(かんざんじっとく)>
1916年(皇紀2576)大正5年1月、「新小説」