頼山陽(らいさんよう)は、江戸時代後期の歴史家・儒学者・陽明学者・漢詩人・文人
「山紫水明(さんしすいめい)とは」、「山は紫色に、水は明るく、日に映えて美しい」と、美しい自然の景色を形容する語
京都を形容する代表的な表現
山は東山
水は鴨川
<山紫水明處(国の史跡)>
1828年(皇紀2488)文政11年
頼山陽が、自宅の水西荘の庭に建てた草堂風の書斎
鴨川沿いにあり、「日本外史」はここで執筆されたといわれる
草堂風の建物
小さな床の間がある四畳半の座敷・二畳の書斎・一畳の水屋・板の間・廊下
鴨川と東山の眺望が素晴らしいところ
頼山陽は、「黄樹青林(こうじゅせいりん)小欄(しょうらん)に対し、最も佳し(よし)山紫水明の間(かん)」と詠った
(わが家の小欄(手すり)の向こうに、紅葉した樹や青く茂る森があり最も美しい山水の場所である)
所在地:京都市上京区東三本木通丸太町上ル南町
アクセス:市バス 河原町丸太町< 徒歩1分
<日本外史>
江戸時代後期に頼山陽が著した国史の歴史書
幕末維新の尊皇攘夷運動に大きな影響を与えたといわれる
幕末から明治時代にかけてもっとも多く読まれた歴史書といわれる
<通議>
経済論
<日本政記>
頼山陽の死後、門人の石川和介が頼山陽の遺稿を校正した書
伊藤博文の愛読書といわれる
<山陽詩鈔>
<長楽寺>
頼山陽のお墓がある