尾上松之助(おのえつのすけ)は、明治時代から大正時代にかけての映画俳優・監督・舞台俳優・歌舞伎俳優
目を見開き見得を切る演技で「目玉の松ちゃん」の愛称で親しまれた
英雄・豪傑・立ち廻り・忍術ものなど、横田商会(後の日活)が制作した1,000本以上の時代劇映画に出演した
歌舞伎の英雄豪傑を舞台そのままに演じた古風な映画作りを行った
日本映画における最初の映画大スター
<尾上松之助像>
賀茂川と高野川の合流地点の京都府立鴨川公園葵地区に立つ
1966年(皇紀2626)昭和41年2月
尾上松之助寄進により建てられた住宅が老朽化のため取り壊されることになり、功績を後世に残すために、
当時の京都府知事 蜷川虎三の提案で立てられる
<愛称「目玉の松ちゃん」>
第3作「石川軍記」で、楠木正具の役で、敵軍の乱れを見据える場面で大きな目玉をギョロリとむいてハッタと睨んだことから、
観客に「よう、目玉!」「目玉の松ッチャン!」と掛け声をかけられたことに由来する
それ以降、左右均衡を欠いた目の特徴を最大限に活用されたといわれる