木下順庵(きのしたじゅんあん)(Jyunan Kinoshita)

江戸時代前期の儒学者

生年:1621年(皇紀2281)元和7年6月4日
没年:1698年(皇紀2358)元禄11年12月23日
享年:78

名:貞幹(さだもと)
字:直夫(ちょくふ)
通称:平之丞(へいのじょう)
号:順庵・錦里(きんり)・敏慎斎・薔薇洞(そうびどう)
諡:恭靖先生(きょうせい)

父親:浪人 木下意春
次男

松永門の三庵

生まれ:錦小路通

 木下順庵(きのしたじゅんあん)は、江戸時代前期の儒学者

【木下順庵の歴史・経緯】

【木下順庵】

 <松永門の三庵>
 藤原惺窩の弟子 松永尺五に師事
 安東省庵(あんどうせいあん)、宇都宮遯庵(うつのみやとんあん)とともに「松永門の三庵」と称された


 幕府の編纂事業にたずさわり「武徳大成記」などを林鳳岡(はやしほうこう)らと編修した


 教育者として優れた人材を輩出し、門下を「木門」と称する

 <木門の五先生>
  新井白石(あらいはくせき):将軍 徳川家宣に仕え、幕政に参与した
  室鳩巣(むろきゅうそう):加賀前田家に仕え、のち将軍 徳川吉宗の侍講となる
  雨森芳洲(あめのもりほうしゅう):対馬藩に仕え、文教・外交で活躍した
  祇園南海(ぎおんなんかい):紀伊藩の儒者
  榊原篁洲(さかきばらこうしゅう):紀伊藩の儒者

 <木門十哲>
 木門の五先生に加えて、
  南部南山(なんぶなんざん):富山藩に仕えた
  松浦霞沼(まつうらかしょう):雨森芳洲とともに対馬藩に仕えた
  三宅観瀾:徳川光圀に招かれて、「大日本史」の編纂に協力した
  服部寛斎(はっとりかんさい):甲斐府中藩主 徳川綱豊(のちの将軍家宣)の侍講となる
  向井滄洲(むかいそうしゅう)(向井三省)

【木下順庵の主な著書】

 <武徳大成記(ぶとくたいせいき)30巻>
 松平氏の発生から徳川家康の一生の事跡や武功を記した書物
 幕府の編纂事業にたずさわり、「武徳大成記」を林鳳岡(はやしほうこう)らと編修した

 <詩文集「錦里文集(きんりぶんしゅう)」十巻>

 <班荊集(はんけいしゅう)二巻>

【木下順庵のゆかりの地】

 <木下順庵邸跡
 中京区錦小路通烏丸通西入南側 占出山町に石碑が立っている


 <蓮華寺
 加賀藩家老の今枝民部近義により再興されたとき、石川丈山狩野探幽などともに協力をする


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