松永尺五(まつながしゃくご)は、江戸時代前期の儒学者
藤原惺窩の門人で、儒学程朱学派に属する
林羅山・那波活所・堀杏庵とともに惺窩門四天王の一人
幕府や藩に対して仕官はせず、京都に春秋館、講習堂、尺五堂など私塾を設営し、多くの弟子を育成した
朱子学を中心にした儒仏道三教一致の思想を持つ
貞門俳諧(はいかい)の祖
窩門四天王の一人
主な著書
<一切経抜萃>
<大海一滴>
<彝倫抄(いりんしよう)>
「凡そ人君は 日月の光のごとく 万人をたすくるようにあるべし」と記している
<五経集注首書>
<四書事文実録>
<古文後集首書>
<尺五先生全集>
<尺吾堂集>
<小学集註抄>
主な弟子
<木下順庵(きのしたじゅんあん)>
<貝原益軒>
<安東省菴(あんどうせいあん)>
<宇都宮遯庵(うつのみやとんあん)>
<松永昌三講習堂跡>
松永尺五が、京都所司代 板倉勝重の援助で、堀川二条南に開いた私塾 講習堂の跡
松永昌三(まつながしょうぞう)は、松永尺五の別名
二条城の東にある京都全日空ホテル前に、石碑が立っている