並河靖之(なみかわやすゆき)(Yasuyuki Namikawa)

明治時代に京都を中心に活躍した日本を代表する七宝家

生年:1845年(皇紀2505)弘化2年9月1日
没年:1927年(皇紀2587)昭和2年5月24日
享年:83

父親:高岡九郎左衛門(京都留守居役京都詰役人)
三男

幼名:留蔵
通称:政治郎
元服名:主税
諱:靖之

帝室技芸員

 並河靖之(なみかわやすゆき)は、明治時代に京都を中心に活躍した日本を代表する七宝家

 七宝焼の原点である金銀線を用いた有線七宝にこだわり極めた

 内国勧業博覧会やパリなど各地の博覧会で表彰され、帝室技芸員となった

【並河靖之の経緯】

【並河靖之の代表作】

 <鳳凰文食籠>
 1873年(皇紀2533)明治6年12月の処女作
 並河靖之七宝記念館
 当初、久邇宮朝彦親王に献上されたが、後に他の作品と交換返却してもらう


 <舞楽図花瓶>
 1877年(皇紀2537)明治10年、第1回内国勧業博覧会 鳳文賞受賞
 三の丸尚蔵館蔵

 <黒地四季花鳥図花瓶>
 1900年(皇紀2560)明治33年、パリ万国博覧会 金賞受賞
 三の丸尚蔵館蔵

 <散水楼閣文香炉>
 1912年(皇紀2572)大正元年、大正天皇御大典の記念として制作されたといわれる
 東京国立博物館蔵

【並河靖之の作品の特徴】

 <有線七宝技法>
 図柄の輪郭線に沿って細い金銀線をかたどり、その中に釉薬を挿し焼成する技法
 金銀線が繊細な図柄を引き立たせることができる

 並河靖之は、有線七宝こそ七宝の本流で、線の美しさこそ七宝の本質だとして、有線七宝の技術を発展させた
 無線七宝、省線七宝、盛上七宝、省胎七宝等の技法は用いられていない
 三条白川一帯には、20数軒の七宝業者あり、切磋琢磨された

 釉薬にも研究を重ね、明度や彩度がる艷やかで潤いある多彩な色彩を持つ
 金属線も、均一で厚みのある真鍮線から、銀線や金線を使用することで線幅をより細くした
 金属線に肥痩を付け、図柄に躍動感を与え、金銀線それ自体を一つの色彩とした

 非常に手間暇がかかり、1つの作品を作るのに1年以上かかることもある

 <釉薬>
 作品の色彩の豊かさと色彩の透明感が特徴
 釉薬の鉱物の分量や配合の割合、焼成する際の時間や温度について研究を尽くし、
明度の異なる釉薬を10種類以上用いて、多くの色彩や色彩のグラデーションを作り上げた

 <黒色透明釉>
 黒色透明釉の発明により、透明感のある深い黒が出せるようになった
 色鮮やかで精緻な図柄を際立たせている

 <花鳥風月>
 花鳥風月を題材にしたものが多い
 並河家の家紋が蝶だったこともあり、蝶をデザインの題材としてよく用いられている

【その他】

 <並河靖之七宝記念館
 京都市東山区三条通北裏白川筋東入堀池町
 七宝作品、旧邸宅や工房(国登録有形文化財)、七代目小川治兵衛の手がけた庭園(京都市指定名勝)が
一般公開されている
 作品141点、下図類989点、道具類532点の計1,662点が「並河靖之七宝資料」として国の登録有形文化財に登録されている

 <清水三年坂美術館>
 海外から並河靖之の作品など、明治時代の工芸品を買い戻している
 並河靖之の銘を持つ作品は、約100点所蔵されている

 <動物が好き>
 幼い時には、近くの本能寺の馬場へ遊びに行っていたといわれる
 大坪流馬術の達人で、伏見宮や閑院宮にも馬術を教えていたといわれる


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