新宮凉庭(しんぐうりょうてい)は、江戸時代中期の蘭方医
漢方医学を学んだあと、長崎で蘭学を学び、京都で医学校「順正書院」を創立し、多くの医師を育てた
翻訳書も含め、医学書も多数著している
順正書院の跡地は現在、湯豆腐店の「順正」が店舗として使用している
<西遊日記>
1836年(皇紀2496)天保7年
長崎留学記
<但泉紀行>
1846年(皇紀2506)弘化3年
城崎温泉逗留記
<破レ家ノツヅクリ話>
1847年(皇紀2507)弘化4年
経済論
<鬼国先生言行録>
「予、事業を成す所以の者は、堪忍力と勉強力に在るのみ」と述べている
<訳書「窮理外科則」>
<訳書「解体則」>