松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)は、江戸時代初期の真言宗の僧侶・文化人
書道・絵画・茶道を極め、多くの公家・武家・文化人と交友を深めている
独自の「松花堂流」という書風を作り出し、近衛信尹・本阿弥光悦とともに「寛永の三筆」と称せられる
<松花堂弁当>
松花堂昭乗が、農家で作物の種などを入れるために使われていた田の字の形に仕切った箱を、
絵の具箱や薬箱に愛用していたといわれる
大阪の料亭 吉兆の主人 湯木貞一が、松花堂昭乗の遺愛の箱を見て、それに料理を盛りつけて考案した
<松花堂>
1637年(皇紀2297)寛永14年12月
松花堂昭乗が、晩年のために石清水八幡宮男山中腹の住坊 泉坊の一隅に創建した方丈
二畳の広さの中に、茶室・水屋・持仏堂などがある珍しい建物
軒の扁額には、「松花堂」と隷書で彫られ、「惺惺翁」の落款がある
「老いてなお心は冴え冴え」との意がある
ここに石川丈山・小堀遠州・木下長嘯子・江月・沢庵など、多くの文人が訪れ、
文化サロンのようになっていたといわれる
<泰勝寺>
八幡市八幡平谷
松花堂昭乗のお墓がある