京都の歌道(かどう)(KaDou)

和歌の道

和歌を詠む技法・作法など

和歌とは、五音と七音を標準とする大和ことばによる定型詩・詩(うた)
 歌道(かどう)とは、和歌の創作や、和歌に関する学問(歌論・歌学)

【歴史・経緯】

<日本最古の和歌>

 建速須佐之男命素戔嗚尊)(八坂神社の祭神)が詠んだといわれる最古の和歌
 八坂神社境内に歌碑がある

 夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微尓 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁

 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を

 やくもたつ いづもやえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを

奈良時代末期>

 <万葉集
 現存する日本最古の和歌集
 全20巻4500首以上、すべて漢字(万葉仮名を含め)で書かれている
 天皇・貴族・官人・防人・大道芸人・農民・東歌など、さまざまな身分の人々が詠んだ歌が収められている

平安時代中期>

 <古今和歌集
 905年(皇紀1565)延喜5年
 日本最初の勅撰和歌集が、醍醐天皇の勅命により、紀貫之ら4人の撰者により編成が行われる

 この頃から、漢詩の「紀伝道(文章道)」に対応して「うたのみち」が唱えられるようになる

 <六歌仙>
 「古今和歌集」の序文に記された6人の歌人
 僧正遍昭在原業平・文屋康秀(ぶんややすひで)・喜撰法師小野小町・大友黒主(おおとものくろぬし)

 その他著名歌人
 紀友則・凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)・壬生忠岑(みぶのただみね)・平貞文


 <八代集>
 天皇が勅命を出し国家事業として編集された勅撰和歌集のうち、「古今和歌集」以後の最初の八集
   古今和歌集後撰和歌集、拾遺和歌集、後拾遺和歌集、
   金葉和歌集、詞花和歌集、千載和歌集、新古今和歌集

 編さん・撰者
   紀貫之藤原俊成藤原定家・源通具・六条有家・藤原家隆・飛鳥井雅経・寂蓮など

 この間に優れた女流歌人が輩出する
   伊勢和泉式部紫式部清少納言・赤染衛門・式子内親王小式部内侍


 <三十六歌仙(さんじゅうろっかせん)>
 藤原公任の「三十六人撰」に記載されている平安時代の和歌の名人36人
   柿本人麻呂・山部赤人・大伴家持・猿丸大夫・僧正遍昭在原業平小野小町・藤原兼輔・紀貫之
   凡河内躬恒・紀友則・壬生忠岑・伊勢・藤原興風・藤原敏行・源公忠・源宗于・素性法師・大中臣頼基・
   坂上是則・源重之・藤原朝忠・藤原敦忠・藤原元真・源信明・斎宮女御・藤原清正・藤原高光・小大君・
   中務・藤原仲文・清原元輔・大中臣能宣・源順・壬生忠見・平兼盛


 <京都の代表的な歌枕
 化野嵐山大堰川・鳥部山・深草・小倉山など

平安時代後期>

 師弟制度が始まり、六条源家・六条藤家・御子左家(みこひだりけ)などが創始されていく

 歌壇では文芸至上主義の傾向が強まり、秘伝化・神秘化が行われていく

 御子左家は、伝統主義を重視しつつ、実作品と理論で「歌道師範家」として家職を確立させていく
 藤原為家の後に、その子孫が、京極派・二条派・冷泉家の三派に分裂する
 京極派・二条派の宗家は、室町時代なると相次いで断絶するが、二条派は、門人らによって継承されていく

 二条派には、「古今和歌集」所収和歌の解釈に関する秘説が「古今伝授」として、師から弟子に秘かに継承される
 古今伝授は、神秘性から中世歌壇における最高の秘伝として権威付けられた
 東常縁・飯尾宗祇・三条西実枝・細川幽斎・智仁親王らが、古今伝授の代表的な継承者とされる


 <中古三十六歌仙>
 藤原範兼の「後六々撰」に記載されているに記載されている平安時代の歌人36人
 藤原公任の「三十六歌仙」には記載されなかった優れた歌人と、三十六歌仙以後の歌人が選ばれている
   藤原公任清少納言和泉式部紫式部平貞文・相模・伊勢大輔・藤原道雅・上東門院中将
   文屋康秀・大江千里・在原棟梁・能因法師・藤原忠房・在原元方・清原深養父・藤原定頼・増基法師・
   恵慶法師・安法法師・曾禰好忠・菅原輔昭・藤原高遠・藤原長能・道綱卿母・大中臣輔親・大江匡衡・
   赤染衛門・藤原実方・藤原義孝・大江嘉言・藤原道信・兼覧王・源道済・道命阿闍梨・馬内侍・

鎌倉時代

 <幽玄体(ゆうげんたい)>
 西行藤原俊成

 <有心体(うしんたい)>
 藤原定家が、晩年、古代以来の秀歌を集めた「小倉百人一首」の選定を手掛ける

 <二十一代集
 「八代集」と、新古今和歌集以降の勅撰和歌集「十三代集」とを合わせた総称

 八代集の最後の和歌集「新古今和歌集」の6人の撰者
   藤原定家、源通具、六条有家、藤原家隆、飛鳥井雅経、寂蓮

 <小倉百人一首
 公家 藤原定家が、嵯峨野小倉山の山荘で選んだとされる
 飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院まで、100人の和歌が1首づつ選ばれている


 藤原定家の孫(藤原為家の子):二条為氏(二条家)、京極為教(京極家)、冷泉為相冷泉家

江戸時代

 歌道が、木下勝俊や戸田茂睡によって批判され、後に、国学による独自の歌学研究が起こる

 大田垣蓮月 女流の第一人者
 小澤蘆庵 平安四天王の一人
 香川景樹(かがわかげき) 桂園派の中心
 木下長嘯子(きのしたちょうしょうし) 豊臣秀吉の甥
 服部嵐雪 松尾芭蕉の高弟 
 細川幽斎 古今伝授(こきんでんじゅ)を伝える
 松永貞徳 貞門俳諧の祖
 向井去来 松尾芭蕉の門人で蕉門十哲の一人
 与謝蕪村 江戸俳諧の三大巨匠 文人画家


 世相や風俗などを風刺したり滑稽に表す遊戯的な俳句「雑俳(ざっぱい)」が流行る
 雑俳集「口よせ草


 <落柿舎
 向井去来が隠棲した嵯峨野の俳諧道場

<明治時代以降>

 正岡子規や与謝野鉄幹らによる和歌改革論者によって歌道そのものの価値が否定されていく


 与謝野鉄幹与謝野晶子
 山川美子
 吉井勇
 高浜虚子

【京都の歌碑】

 京都で生まれた、すばらしい和歌や俳句などの作品を歌碑として、あちこちで見ることができる

【連歌】

 室町時代初期に流行した、複数の作家により作られる詩
 連歌は、17音(5−7−5音)からなる詩行と、14音(7−7音)からなる詩行を、
参加者が交互に継ぎ足していき、通常100行の詩を完成させる
 格調の高く、美意識が踏襲され、古典の故事を引用しながら詩句を作るのが作法とされていた
 また、第1行目には季語を入れるのが作法であった

【俳諧】

 室町時代後期に流行したユーモアな連歌
 生活感のある事柄を題材として用いてパロディ化した愉快性を持ち、語呂合わせが多用される
 連歌同様、第1行目には季語を入れるのが作法

【俳句】

 連歌や俳諧の第1行目は「発句」と称される
 俳諧の発句だけを独立した作品として発表する例も見られるようになり、俳句の起こりとなる
 連歌や俳諧の第1行目に季語を入れる作法が踏襲された


【京都検定 第1回3級】

69.歌人の吉井勇を偲んで、白川南通の川沿いに建つ歌碑の前で、毎年11月8日に催される行事は何か?

【京都検定 第2回3級】

【京都検定 第3回3級】

【京都検定 第4回3級】

【京都検定 第5回3級】

【京都検定 第6回3級】

【京都検定 第7回3級】

【京都検定 第1回2級】

【京都検定 第2回2級】

【京都検定 第3回2級】

【京都検定 第4回2級】

【京都検定 第5回2級】

【京都検定 第6回2級】

【京都検定 第2回1級】

【京都検定 第3回1級】

【京都検定 第4回1級】

【京都検定 第5回1級】

【京都検定 第6回1級】

【京都検定 第12回1級】


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