夕霧名残の正月(ゆうぎりなごりのしょうがつ)は、歌舞伎の演目のひとつ
初世 坂田藤十郎が、藤屋伊左衛門役を演じて大当りをとった演目
夕霧(ゆうぎり)は、「伝説の花魁」といわれる高貴な遊女
最初は、京都の花街にいて、大阪新地にある置屋の扇屋に移る
大阪でも屈指の豪商の息子の藤屋伊左衛門(ふじやいざえもん)は、夕霧と恋に落ち、金を湯水のごとく使い
廓に通い詰め、勘当される
お金がなくなり、みすぼらしい身なりとなり、夕霧にも会えなくなり、夕霧にもらった恋文を紙衣(かみこ)にして、
それを着て廓のあたりをウロウロしていた
その間に夕霧は病気になって死んでしまう
夕霧が亡くなって四十九日
扇屋の主人 三郎兵衛と、女将さんのおふさは、夕霧の早すぎる死を悲しみ、広間に形見の打掛を飾り、
「なななぬか(七×七日)」の法要の支度をしていた
紙衣を着て、何とか夕霧に会いたいと思っていた伊左衛門は、通りかかった太鼓持の鶴七と亀八の二人から、
夕霧が亡くなり今日はその四十九日だと聞かされる
扇屋の主人夫婦は、ショックをうけた伊左衛門を、お座敷にあげて休ませる
伊左衛門は、夕霧の死に目にも会えなかったことを悲しみ、せめて供養にと夕霧と交わした起請文を取り出して
念仏を唱えと、伊左衛門は突然、気を失ってしまう
すると、打掛の陰から夕霧が姿を現し、「わしゃ、わずろうてのう」と話す
二人は再会を喜び、長唄で楽しく踊ったり、昔を偲ぶが、やがて夕霧の姿は再び消えうせてしまい、
主人とおふさが呼びかける声で、伊左衛門が気を取り戻し、夕霧と思ったのは形見の打掛だったと気が付く
しかし、伊左衛門は、たとえ夢の中でも夕霧と会えたことを喜んだ
<初代 坂田藤十郎>
和事の創始者とされる
代表的な当役が、「夕霧名残の正月」など夕霧との情話での藤屋伊左衛門役とされる