近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)は、江戸時代前期に活躍した歌舞伎・浄瑠璃の劇作家
浄瑠璃では竹本義太夫、歌舞伎では坂田藤十郎と組んで活躍した
忌日の11月22日は、「近松忌」「巣林子忌」「巣林忌」と称され、冬の季語となっている
100以上の浄瑠璃を書いたが、そのうち約20曲が世話物、残りが時代物であった
<世継曽我> 1683年(皇紀2343)天和3年
<出世景清> 1685年(皇紀2345)貞享2年
<曾根崎心中(そねざきしんじゅ)>
1703年(皇紀2363)元禄16年
初の世話物
<堀川波鼓>
1707年(皇紀2367)宝永4年
3段の世話物
前年に起きた鳥取藩士が妻敵を討った事件を脚色したもの
南北に走る通りを読み込んだ歌が出てくる
<冥土の飛脚> 1711年(皇紀2371)正徳元年
<国性爺合戦> 1715年(皇紀2375)正徳5年
<心中天網島> 1720年(皇紀2380)享保5年
<女殺油地獄> 1721年(皇紀2381)享保6年
坂田藤十郎のために、時代物・世話物の約30編もの脚本を残した
<夕霧七年忌(ゆうぎりしちねんき)>
1684年(皇紀2344)貞享元年
都万太夫座で上演
島原の名妓 夕霧太夫をモデルにした題目
<仏母摩耶山開帳(ぶつもまやさんかいちょう)>
1693年(皇紀2353)元禄6年
京都 都万太夫座で上演
摂津麻耶山の十一面観音菩薩の開帳を当て込んだ、大名 六田家のお家騒動物
坂田藤十郎が総領 掃部(かもん)役を演じ評判を得た作品
<傾城仏の原(けいせいほとけのはら)>
1699年(皇紀2359)元禄12年
京で、加賀国月窓寺の「沓はき弥陀如来」が開帳したのを当て込んで、都万太夫座で上演
坂田藤十郎が若殿 梅永文蔵を演じる三番続きのお家騒動物
<平家女護島(へいけにょごがしま)>
1719年(皇紀2379)享保4年に初演の近松門左衛門作の人形浄瑠璃が、
1720年(皇紀2380)享保5年に歌舞伎化された
俊寛ゆかりの題目
<虚実皮膜論>
「芸の面白さは虚と実との皮膜にある」と論じた
<養生訓>
摂津国尼崎の広済寺に自筆といわれる「養生訓」が残っている
<家族>
妻と3人の息子
次男と三男は、浄瑠璃関係の仕事に就いた
<時代物(じだいもの)>
古い時代設定にして、過去の出来事や、庶民の日常からかけ離れた武家や公家の社会に起きた出来事などを扱った演目
<世話物(せわもの)>
現代劇風に、庶民の日常そのものである市井の話題や風俗などを扱った演目