北座(きたざ)は、江戸時代中期、四条河原町あたりに幕府により許可された7つの歌舞伎芝居小屋の一つ
南座とともに明治時代中期まで残っていたが、四条通の拡張に伴い閉鎖された
現在は、四条の北に芝居小屋を開いていた「井筒屋」が、北座を模した建物を建立している
津田家創業の「井筒屋」は、江戸幕府から許された四条河原町7ヶ所の常設芝居小屋の1つ
津田家は、伏見で、大石蔵之助が世間を欺く為に遊興にふけった「万屋」を営んでいたが、
祇園に移って「一力亭」と改められ、そこを譲って四条の北に芝居小屋「井筒屋」を開いたといわれる
<井筒八ッ橋本舗北座ビル>
4階建てのビル
屋根には、幕府から許可された火消しのしるしと家紋が掲げられている
「歌舞伎と七つの槍」などのテーマで常設展が行われている
かつては、「北座染屋町寄席」が開かれていた
2階には茶店や歌舞伎グッズのお店がある
天保年間(1830年〜1844年)の「花洛名勝図会」には「祇園町北側井筒茶店」が記載されている