藤原関雄(ふじわらのせきお)(Sekio Fujiwara)

平安時代前期の貴族・文人

生年:805年(皇紀1465)延暦24年
没年:853年(皇紀1513)仁寿3年2月14日
享年:49

父親:参議 藤原真夏(藤原北家)
五男
母親:不詳

官位:従五位下
官職:治部少輔 兼 斎院長官

 藤原関雄(ふじわらのせきお)は、平安時代前期の貴族・文人

【藤原関雄の経緯】

【藤原関雄の主な作品】

 <「古今和歌集」>
 2首が入集している
 「奥山の岩垣もみぢ 散りぬべし 照る日の光 見る時なくて」 (巻五283)
 (山奥の岩垣紅葉は、美しく色づきながら、光をあびることなく、散ってしまうだろう
 そのように我が身も、世間の栄光に浴することなく、ひっそりと世を去ることだろう)

 「霜のたて 露のぬきこそ 弱からし 山の錦の 織ればかつ散る」 (巻五291)
 (霜の縦糸、露の横糸は弱いらしい。山の錦が織り上げるはしからほどけてゆく)

 <「経国集」>
 漢詩の作品が採録されている

【藤原関雄のゆかりの地】

 <永観堂
 藤原関雄が若い頃に居住した東山の旧居が、後に永観堂となった

 <南池院>
 淳和上皇の離宮
 襖に文字を書いたといわれる

 <雲林院
 淳和上皇の離宮
 襖に文字を書いたといわれる

【藤原関雄の故事】

 <鼓琴>
 鼓琴を最も愛好しており、淳和上皇から琴の秘譜を賜与されたといわれる

 <草書>
 草書を得意として、淳和上皇に命じられて、離宮である南池院・雲林院の壁に文字を書いたといわれる


【京都検定 第6回1級】

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