藤原定家(ふじわらのていか)(ふじわらのさだいえ)は、鎌倉時代初期の公家・歌人
正二位権中納言にもなる
御子左家(みこひだりけ)の藤原定家の直系子孫は絶えたが、孫の代に、二条家・京極家・冷泉家に分かれる
和歌所寄人として「新古今和歌集」の撰者となり、また「新勅撰和歌集」を撰集した
厭離庵近くの嵯峨の山荘で小倉百人一首をまとめた
藤原定家の歌
「来ぬ人を まつほの浦の夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ」
<歌論書>
本歌取りなどの技法や心と詞との関わりを論じている
「毎月抄」
「近代秀歌」
「詠歌大概」
<歌集「拾遺愚草」>
<日記「明月記」(国宝)>
18歳から74歳までの56年にわたる克明な日記
漢文
おうし座で超新星爆発(現在のかに星雲)が起こったことに関する記述があり、理論上のものだった「超新星爆発」の
初の実証例として認められた天文学上の重要な資料
安楽寿院の所蔵
<千代の古道>
「嵯峨の山 千代のふる道 あととめて また露わくる 望月の駒」
新古今和歌集
<常寂光寺>
藤原定家の歌「忍ばれむ物ともなしに 小倉山軒端の松ぞなれてひさしき」にちなんで、「軒端寺(のきばじ)」と称される
<二尊院>
背後の小倉山には、藤原定家ゆかりの遺跡がある
<慈眼堂>
念持仏の十一面千手観音菩薩立像が安置されている
<古今和歌集 定家本(国宝)>
藤原定家は、10回以上「古今和歌集」を書写している
自筆本が、冷泉家時雨亭文庫に所蔵されている
<後撰和歌集 定家本(国宝)>
藤原定家が書写してたもの
冷泉家時雨亭文庫に所蔵されている