藤原定家(ふじわらのていか)(Fujiwarano Teika)

正式名称:藤原定家(ふじわらのさだいえ)

生年:1162年(皇紀1822)応保2年
没年:1241年(皇紀1901)仁治2年9月26日

御子左家の出身

藤原道長の孫の孫

父親:藤原俊成
母親:美福門院加賀(藤原親忠の娘)

法名:明静(みょうじょう)

 藤原定家(ふじわらのていか)(ふじわらのさだいえ)は、鎌倉時代初期の公家・歌人
 正二位権中納言にもなる

 御子左家(みこひだりけ)の藤原定家の直系子孫は絶えたが、孫の代に、二条家・京極家・冷泉家に分かれる

 和歌所寄人として「新古今和歌集」の撰者となり、また「新勅撰和歌集」を撰集した

【藤原定家の経緯・功績】


【藤原定家の百人一首】

 厭離庵近くの嵯峨の山荘で小倉百人一首をまとめた

 藤原定家の歌
   「来ぬ人を まつほの浦の夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ」

【藤原定家の主な著書】

 <歌論書>
 本歌取りなどの技法や心と詞との関わりを論じている
 「毎月抄」
 「近代秀歌」
 「詠歌大概」

 <歌集「拾遺愚草」>

 <日記「明月記」(国宝)
 18歳から74歳までの56年にわたる克明な日記
 漢文
 おうし座で超新星爆発(現在のかに星雲)が起こったことに関する記述があり、理論上のものだった「超新星爆発」の
初の実証例として認められた天文学上の重要な資料
 安楽寿院の所蔵

【藤原定家のゆかりの地】

 <千代の古道
 「嵯峨の山 千代のふる道 あととめて また露わくる 望月の駒」
 新古今和歌集

 <常寂光寺
 藤原定家の歌「忍ばれむ物ともなしに 小倉山軒端の松ぞなれてひさしき」にちなんで、「軒端寺(のきばじ)」と称される

 <二尊院
 背後の小倉山には、藤原定家ゆかりの遺跡がある

 <慈眼堂
 念持仏の十一面千手観音菩薩立像が安置されている

 <北白川天神宮
 歌碑「春といへば さえゆく風に 立つ波の 花にうづめる 白川の里」(拾遺愚草員外)が立てられている

【その他】

 <古今和歌集 定家本(国宝)
 藤原定家は、10回以上「古今和歌集」を書写している
 自筆本が、冷泉家時雨亭文庫に所蔵されている

 <後撰和歌集 定家本(国宝)
 藤原定家が書写してたもの
 冷泉家時雨亭文庫に所蔵されている


【京都検定 第3回3級】

【京都検定 第4回3級】

【京都検定 第5回3級】

【京都検定 第10回3級】

【京都検定 第11回3級】

【京都検定 第12回3級】

【京都検定 第14回3級】

【京都検定 第3回2級】

【京都検定 第9回2級】

【京都検定 第21回2級】

【京都検定 第2回1級】

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